• 2024年07月05日 【イベントレポート】「彩色実演&『辰(たつ)』の飾り物絵付け体験」

    6月30日(日)に「平野富山展」関連イベント「彩色実演&『辰(たつ)』の飾り物絵付け体験」を開催しました。

    平野富山の次男で彩色木彫家として活躍する平野千里さんをお招きし、彩色の実演(約30分)を鑑賞後、本プログラムのために特別に制作された辰の飾り物((FRP製、原型は平野富山の彩色木彫作品、16㎝程度)に絵付けをしました。
    当日は小学生から大人の方まで、24名の方にご参加いただきました。

    平野富山の次男で彩色木彫家として活躍する平野千里さん


    参加者ははじめに千里さんが辰の飾り物に実際に絵付けをする様子を見学しました。

    水干絵の具に膠(にかわ)を加え指で溶く作業

    辰の目を描いていきます


    繊細な作業に、参加者も集中して見守りました。

    彩色に欠かせない金泥や胡粉を溶く作業も見せていただきました。

    金泥と膠を電熱器で温めます

    指で練ることで光沢が生まれていきます

     


    通常20分くらいかけて練っていくそうですが、平野富山は急いでいる時などに金を練るのがとても早かったのだとか。
    千里さん曰く「(父・富山は)4、5回しか練っていないのに、かなり光っていた」とのこと(!)

    胡粉を溶く作業。すり鉢で胡粉と溶かした膠を混ぜます

    ひも状にしていきます。この工程を”おそば”と呼ぶそう(”うどん”よりちょっと細めとのこと)

    胡粉はガーゼでしっかりと濾すことで、なめらかで美しい仕上がりになるそうです


    千里さんの手元を見学しながら、当館学芸員のレクチャーをもとに参加者も辰の絵付けを進めていきます。

     


    日本の伝統的な配色を取り入れながら、細部の装飾などでそれぞれの個性が表れた辰の飾り物が完成しました!

     


    今回絵付けをした辰の飾り物の原型となった平野富山の作品《龍》は「平野富山展」でご覧いただけます。

    平野富山《龍》 昭和52~平成元年(1977~89)頃 木、彩色 荒川区


    緑や赤を基調とした極彩色で彩られていて、特に鱗の表現は圧巻!
    脚や胴体の形に沿って色が幾重にも重なり、
    截金(きりかね)のような斜め格子の細線が全体に施されています。

    確かな彫技と彩色技術で、超絶技巧ともいえる作品を生み出した平野富山。
    「平野富山展」は人形、西洋彫刻、彩色木彫の三つの領域を横断し彩色の専門家としても作家を支えた富山の全容にせまる初の試みです。
    展覧会は7/15(月祝)まで。ぜひ会場で平野富山の作品世界をご堪能ください。

     

    (m.o)

     


    「没後35周年記念 平野富山展 ―平櫛󠄁田中と歩んだ彩色木彫、追求の軌跡」
    会期:2024年6月6日(木)~7月15日(月・祝)

     

  • 2024年05月17日 平櫛󠄁田中と歩んだ彩色木彫、追求の軌跡

    日本近代彫刻史上、重要な彩色木彫家の一人である平野富山(ひらのふざん)。その60年余りの作家人生の約半世紀もの間、平櫛󠄁田中(ひらくしでんちゅう)の彩色担当者を務めました。田中といえば、国立劇場ロビーで長年公開された※大作《鏡獅子》で知られますが、本作の彩色も富山が担っています。
    ※国立劇場の建替えに伴い、2029年まで田中の故郷・岡山県の井原市立平櫛󠄁田中美術館で長期公開中

    平櫛󠄁田中《試作鏡獅子》昭和20年(1945) 木,彩色 株式会社歌舞伎座


    彩色木彫とは、彫刻した木地に日本画絵の具で彩色したものですが、木という素材の特性上、収縮や膨張、表面に樹脂が染み出るなどのリスクを伴います。これらの対処に通常は膠を混ぜた胡粉を下塗りします。しかし《鏡獅子》では寄木造りに適しつつも樹脂が出やすい檜材が選ばれたため、生漆を塗り全面に箔押しする処置が採られました。富山はこの様な彩色方法を田中とともに検討しましたが、作品の印象を決める文様選びについては特に田中からの細かな指示はなく、富山が提案したといいます。

    つまり彩色担当者である富山には十分な知識と高い技術が求められた訳です。富山が師匠の後を継いで一人で彩色を担当したのは25歳の頃。田中とは親子ほどの年齢差がありました。富山は猛烈に勉強して腕を磨き、時には彩色を巡って田中と渡り合い「わしに意見するのは平野だけだ」と言わしめたといいます。

    平櫛󠄁田中《霊亀随》昭和11年(1936)※彩色は後年 木,彩色 日本芸術院 ※文化庁許可済


    富山は生前、彩色木彫における彫刻と彩色の関係性を「不即不離」と言い表しました。不即不離とは二つのものがつかず離れずちょうどよい関係にある、という意味です。彫刻と彩色が均衡のとれた関係にあるからこそ成立するということでしょう。この言葉は、彫刻家と彩色担当者、まさに田中と富山の関係性をも表すものではないでしょうか。彩色担当者は作品の質を左右する重大な役割を担っていたのです。

    田中とともに、そして自らの彩色木彫を生涯かけて追求した富山。その足取りは日本近代彫刻史の中に確かに刻まれています。

     

    (s.o)

     


    「没後35周年記念 平野富山展 ―平櫛󠄁田中と歩んだ彩色木彫、追求の軌跡」
    会期:2024年6月6日(木)~7月15日(月・祝)
    ◎お得な前売券は6月5日(水)まで静岡市美術館、プレイガイド等で販売