2013年06月13日藤田嗣治の線描
早いもので「レオナール・フジタとパリ1913-1931」展の会期も、残すところ1週間余りとなりました。
本展は、1913年に渡仏した藤田嗣治が最初の妻・とみへ送った手紙や、1910年代後半の水彩画など、これまでの藤田展ではあまり紹介されなかった時期の作品や資料を多数含んでいます。1910年代の水彩画から1920年代の「素晴らしき乳白色の地」の油彩画へと移り変わるドラマチックな展開もご覧いただけます。作品図版は展覧会紹介ページに掲載しています(https://shizubi.jp/exhibition/130420_02.php)。
1915年3月 シテ・ファルギエールのアトリエにて
これらは藤田がフランスからとみへ送った写真です。とても小さい写真なので、ぜひ展示室で大きさ(小ささ?)を確認してみてください。インターネットもスマートフォンもなかった時代、船便の手紙に添えられたこれらの小さな写真は、日本で待つ妻に藤田の今を伝える雄弁なメッセンジャーだったに違いありません。パリで暮らす藤田の様子が今日のわれわれにも伝わってきます。
冒頭でも触れましたが、本展には、1910年代の水彩画が多数出品されています。ルーヴル美術館で学んだ古代ギリシア・ローマやエジプトの美術と、浮世絵に代表される日本の美術のエッセンス、さらにはパリで知り合ったピカソやモディリアーニら同時代の画家たちの新しい動き、そういったものを吸収して生み出された水彩作品です。
(参考図版はこちらhttps://shizubi.jp/exhibition/130420_02.php#03)
1910年代、既に藤田は繊細な描写に個性を発揮しています。ですが、本展の出品作品を改めて見たとき、際立って感じられるのは1920年代の線の細さとしなやかさです。
(参考図版はこちらhttps://shizubi.jp/exhibition/130420_02.php#04)
ここで、線についての藤田の発言をいくつかご紹介しましょう。
1929年に日本に一時帰国した際、藤田は自分の制作について次のように語っています。
「自分はほとんど定規で引くような確実さで頭の支配によって動く機械として自分の手の練習に努めた。例えば毛髪の一本が鏡の上に落ちた時には非常に直線に見える。同じ毛髪でも粗い布の上に落ちた時には非常に振動して見える。自分の細い線を現すにはもっとも滑らかな、光沢のある画布を作らねばならぬ。古来よりの日本画のもっとも長所とする寧ろ書かざる部分の余白を豊富な質のある画幅に作ることに苦心した。」
(藤田嗣治「在仏一七年」『藤田嗣治画集』1929年、朝日新聞社)
余白の美を表現するため、そして鍛え上げた細い線の魅力を十全に発揮するために、あのきめの細かい白い下地が考案されたというわけです。また別の文章では、線について、ただの輪郭ではなく、画家が捉えた本質の表現でなければならないとも言っています。
「線とは、単に外殻を言うのではなく、物体の核心から探求すべきものである。美術家は物体を深く凝視し、的確の線を捉えなければならない。そのことが分かるようになるには、美の神髄を極めるだけの鍛練を必要とする。」
(藤田嗣治「線の妙味」『地を泳ぐ』講談社、1984年;初版は書物展望社、1942年)
画材の研究や筆を扱う技術の修練に加えて、こうした強い信念があってこそ、あのような線が誕生したのですね。静岡でご覧いただけるのはあと少しの期間となりましたが、ぜひこの線の魅力をご堪能下さい。(k.y.)