2016年07月03日古径と青邨の燈籠大臣(とうろうのおとど)
安田靫彦(やすだゆきひこ)をふくめ、後に院展の三羽烏とよばれた小林古径(こばやしこけい)と前田青邨(まえだせいそん)は、共に、歴史画を得意とした梶田半古塾の兄弟弟子でした。沐芳さん(修善寺・新井旅館三代目主人 本名:相原寛太郎)は、この二人が描いた同じ主題の作品を所持しています。
本展では、基本的に作家ごとに作品を紹介していますが、この二幅だけは、特に並べて展示しています。
右 小林古径筆「重盛(しげもり)」明治44 年 28歳 伊豆市蔵
左 前田青邨筆「燈籠大臣(とうろうのおとど)」 明治末 20代半ば 伊豆市蔵
両方とも、烏帽子をかぶり、白い直衣を纏った人物が描かれ、まるで中尊寺金色堂のような柱、燈籠が描かれていますね。この人物は、平清盛の長子で重盛、別名、燈籠大臣(とうろうのおとど)と呼ばれた人です。『平家物語』によれば、重盛は東山の麓に48間の御堂を建てて、1間ずつ燈籠をかけ、毎月14、15日には女房達に念仏を唱えさせ、自らも願をかけたので、燈籠大臣(とうろうのおとど)と呼ばれた、ということです。
両方を比べてみると、古径は、重盛をほぼ正面から浮かび上がるように描いています。背後にこの物語の場面設定として重要なモチーフである御堂の柱、燈籠(とうろう)をえがいています。そして柱の近くには赤と白の散華(さんげ)がはらはら舞っており、画面に空気が感じられますね。
一方青邨は、念仏を唱える重盛をやや斜め後方から捉え、前景右手には灯りの入った燈籠と、まるで中尊寺金色堂の柱のような螺鈿(らでん)で宝相華(ほうそうげ)と菩薩(ぼさつ)があしらわれた柱、その陰には、華籠(けこ)を持つ童子が描かれています。柄香炉(えごうろ)などの法具もしっかりと写実的に描かれています。散華は舞ってはいませんが、床に色とりどりの散華がちりばめられていますね。燈籠の明かりには炎まで描かれています。どれも精緻に描かれていて、わずかな灯りで照らされた堂内の緊張感が伝わってくる、奥行き感がありますね。
簡単に言ってしまえば、古径は優しく、ぼおっとした空間表現によって空気を描いていますが、青邨は構図力によって空間を巧みに表現しています。
この時古径28歳、青邨は25、6歳でしょうか、ほぼ同じ時に同じ主題を描いた兄弟弟子のこの表現の違いは、彼らの後年の代表作を考えたとき、既にその個性が認められるといってもいいように私には思えます。特に青邨には後年、余分なモチーフはすべて排除し、画面に凛とした空気を漂わせた人物画の名品がありますが、その萌芽がここにあるように思います。
ちなみに、古径のこの作品は、第14回紅児会展(明治44年3月)出品画です。目録に記載がみえるのです。しかし直後の古径書簡によると、「重盛」は沐芳へのつもりで描いたが、つまらないので見合わせた、とあり、同年9月8日付には「重盛」を沐芳に送ったとあります。いずれにしても、優しい筆の古径ですが、完成後も納得するまで手を加える真摯な姿勢が見て取れます。
二人の個性を重盛/燈籠大臣を比べてみることで、味わっていただければ幸いです。
(e.y.)