2017年05月19日アルバレス・ブラボとアンリ・カルティエ=ブレッソン
現在開催中の「アルバレス・ブラボ写真展-メキシコ、静かなる光と時」ですが、
閉幕まで残すところあと1週間ほどとなりました。
静岡市美術館としては初めての本格的な写真展。
大盛況…とは申し上げにくい状況ではありますが、ご観覧頂いた方からは
「知らない写真家でしたが、穏やかな眼差しを感じ心に残りました」
「あらためてモノクロ写真はいいなぁと思いました」
「素晴らしい写真家を知らずにいるところでした。来てよかったです。」
と、とても好評を頂いております。
そう。アルバレス・ブラボはメキシコを代表する写真家でありながら、
日本での知名度はそう高くはありません。
1983年に東京のPGIギャラリー、1997年に山梨の清里フォトアートミュージアムで
個展が開催されていますが、192点のボリュームでご紹介するのは初めての機会です。
また、アルバレス・ブラボは2002年に100歳で亡くなっているので、
没後としても国内初の大規模な回顧展となります。
カルティエ=ブレッソンからアルバレス・ブラボへ送られた手紙(1935年・複製)
アルバレス・ブラボの名前を知らない方でも、
フランスの写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンをご存じの方は多いかと思います。
実はこの2人、1935年にメキシコシティの芸術宮殿で2人展を開催しています。
1908年生まれのカルティエ=ブレッソンとアルバレス・ブラボは同世代。
アルバレス・ブラボは1932年にメキシコシティの画廊で初個展を、
カルティエ=ブレッソンは1933年にニューヨークのジュリアン・レヴィ・ギャラリーで初個展を開催、
当時はまさに2人とも駆け出しの写真家でした。
カルティエ=ブレッソンはフランスのトロカデロ民族博物館(現:人類博物館)
のメキシコ調査団の一員としてメキシコを訪れ、1年間滞在するのですが、
その時撮影された写真には、アルバレス・ブラボと共通する街のモチーフが登場します。
アルバレス・ブラボの《梯子のなかの梯子》(1931-32年)で登場する子ども用の棺桶は、カルティエ=ブレッソンも被写体にしている。
メキシコの街並みを「自国」の風景として切り取ったアルバレス・ブラボと、
「異国」として切り取ったカルティエ=ブレッソン。
残念ながら本展では2人の作品を比較してご覧いただくことはできないのですが、
是非本展を機に両者の作品を比べてみて頂ければと思います。
メキシコでの2人展の後、ウォーカー・エヴァンズの作品を加えた展覧会が
ニューヨークのジュリアン・レヴィ・ギャラリーで開催された。
本書は2004年にシュタイデル社から発行された、当時の展覧会を検証する関連書籍。
かっこいい表紙にはアルバレス・ブラボの《眼の寓話》が採用!
アルバレス・ブラボの写真は、カルティエ=ブレッソンの写真より、
より「死」の影を感じるような、静的な印象が強い写真が多いように思いますが、
シュルレアリスムの文脈から語ることができたり、絶対的な構図を持っていたりと、
同時代の表現として共通する部分があります。
また、2人とも一時映画産業に関わり、
さらに名作といわれる作品が実はキャリアの前半に集中していたりと、意外と共通点は多いのです。
さらに、カルティエ=ブレッソンも96歳まで生きた長寿の写真家です。
世界をカメラで切り取り、それを残していく写真家に大切なのは生き残ることだ、
というようなことを聞いたことがありますが、
1935年にメキシコで撮られた若々しい2人のツーショットと、
70代に再び集った時の写真をみると何か感慨深いものがあります。
(その時の写真には、ハンガリー出身のアンドレ・ケルテスも一緒に写っているのですが、
彼もまた91歳まで生きた写真家でした。)
アルバレス・ブラボの《舞踏家たちの娘》(1933年)と
アンドレ・ケルテスの《サーカス》(1920年)は、
その表現の親和性を取り上げられることがあります。
先日の講演会で写真家の港千尋さんは、メキシコを眺め続けた
アルバレス・ブラボのその特異な存在を「恩寵」という言葉で表していらっしゃいましたが、
70年に及ぶアルバレス・ブラボの活動のすべてを一度に紹介するのは易しいことではありません。
この展覧会が、アルバレス・ブラボの作品を知るきっかけとなり、
日本において作品について語られる機会が今後増えることを願っています。
世田谷美術館、名古屋市美術館と開催し、当館は巡回の最終会場です。
どうぞお見逃しなく。
展示室の最後には、静岡会場限定で、
アルバレス・ブラボの写真集や関連書籍が閲覧できるコーナーも設置しています。
こちらも是非。
(a.i)