2017年08月20日龍馬の暗殺と血染掛軸
今年は大政奉還150年、そして坂本龍馬の没後150年でもあります。
龍馬が日本史上はたした役割は、大きく2つあります。
1つは、西郷隆盛ら薩摩藩と、桂小五郎ら長州藩の仲を取り持ち、薩長同盟を締結させたこと。
もう1つは、外国の脅威が迫る中、仲間とともに大政奉還(幕府による朝廷への政権返上)を推進したこと。
薩長が後に明治政府の中核をなすことを見ても、龍馬の行動は、後の明治維新に少なからず影響を与えたといえましょう。
しかし、龍馬は維新を見届けることなく、慶応3(1867)年11月、京都・近江屋で中岡慎太郎と談論中に、突如乱入した数名の刺客により暗殺されました。
わずか33歳。大政奉還から1か月、新たな国家体制を作るため、奔走する最中の事件でした。
8月15日から展示が始まった、重要文化財《梅椿図(血染掛軸)》。
実は、龍馬が暗殺された部屋の床の間に掛かっていたものです。
掛軸の作者は文人であり支援者であった板倉槐堂で、事件後、海援隊士・長岡謙吉により表具上部に追悼文が記されました。
表具の下部には、今も血の飛び散った痕が残り、生々しい現場の様子を伝えています。
重要文化財 板倉槐堂筆《梅椿図(血染掛軸)》 京都国立博物館 (8/15-8/27展示)
(s.o)