2020年05月06日ブログで展覧会気分(3)
臨時休館中に展覧会気分を味わっていただく企画、3回目は『明星』と藤島武二をご紹介します。
『明星』は、与謝野鉄幹が結成した東京新詩社の機関誌として1900年に創刊されました。与謝野晶子の情熱的な短歌に代表される新時代の文芸を育んだばかりでなく、表紙絵や挿絵などを通じて新しい視覚イメージを明治後期の世に送り出した雑誌です。
明治、大正、昭和を代表する洋画家のひとり、藤島武二は、1901年から『明星』の表紙絵や挿絵を手がけました。同年3月発行の『明星』第11号からの表紙には、金星のシンボルが記された星を額に戴く、夢見るような表情の女性の顔が描かれています。上部には別枠で変体仮名を交えて「みやうじやう」、すなわち「みょうじょう」という誌名がデザイン化されています(右から左へ読みます)。
六芒星や百合といったモチーフ、文字と枠による巧みなデザイン化、太い輪郭線で人物の形を際立たせる手法など随所にミュシャらによるアール・ヌーヴォーのグラフィックの影響がうかがわれます。明星とは日本では金星のことを指し、金星は西洋では美の女神ヴィーナスと同一視されます。ジャポニスムの時代にパリで誕生したミュシャの女性像が、めぐりめぐって藤島の絵の中で、日本の『明星』を象徴する美の女神として生まれ変わっているようにも見えます。
手前左から与謝野晶子『みだれ髪』1906年(1901年初版) 個人蔵
与謝野鉄幹・晶子『毒草』1904年 和歌山県立近代美術館
与謝野晶子『小扇』1905年(1904年初版) 千葉市美術館
『中学世界』第8巻第5号 1905年 個人蔵
奥、3冊とも川上瀧彌・森廣『はな』1902年 個人蔵
藤島は『明星』の歌人たちの歌集の装幀も行いました。与謝野晶子の代表作『みだれ髪』もその1冊です。展示室では、東西の要素が融合した藤島の意匠をお楽しみ頂こうと、藤島の装幀本を一つのケースに集めています。ところで、ケースの奥に見えるのは長原孝太郎の作品で、右端の額は1901年10月に開催された白馬会第6回展のポスターです。この展覧会に藤島武二も長原孝太郎も出品していますが、さらに、洋行した画家たちが持ち帰った外国のポスターも一緒に展示されていたことが分かっています。第6回展にはパリで活躍していたミュシャや、ウジェーヌ・グラッセやアレクサンドル・スタンラン、そしてチェコのアルノルシュト・ホフバウエルのポスターが展示されたことが分かっています(ホフバウエルのポスターについては次回ブログでご紹介予定です)。
余談ですが、その前年の白馬会第5回展が開催されたのは1900年。ちょうど来日中だったオルリクは白馬会展に出品し、『明星』に版画を寄稿しています。日本でいち早くミュシャを受容した藤島や長原は、実はオルリクとも交流がありました。チェコのプラハ国立美術館には、来日の記念にと藤島がオルリクに献辞を記して贈った『宋紫石画譜』が所蔵されています。
(k.y.)