2014年05月31日「かたち」と「ことば」でひもとく美の世界

本展では、川端康成と東山魁夷それぞれの美術コレクションと、両家所蔵の東山魁夷作品など200点余りをご紹介しています。土偶や埴輪から、若き日の草間彌生の作品、そして東山魁夷のスケッチまで、大変に幅広い作品が一堂に会することが本展の特色の一つです。

そしてもう一つの特色として、川端康成と東山魁夷の「ことば」を作品とともに紹介していることが挙げられます。

各章のはじめには、それぞれの章を象徴する言葉を引用し、また、各作品の近くにも関連する文章を引用したパネルを展示してあります。


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埴輪乙女頭部 - コピー.JPG

 ほのぼのとまどかに愛らしい。均整、優美の愛らしさでは、埴輪のなかでも出色である。
 この埴輪の首を見てゐて、私は日本の女の魂を呼吸する。日本の女の根源、本来を感じる。ありがたい。〔中略〕
 埴輪には円い顔が多いが、この首ほどやはらかく円い顔はめづらしいやうである。円さは横顔へもつづく。頭のうしろも円い。そして、首の細く長いのがいい。円の均整と調和のまはりに温かいひろがりがある。
 しかし、目は切り抜かれて、奥に深い暗(やみ)があるから、可愛さは甘さにとどまらない。角度と光線によつて、いろいろに見え、無限に語りかけてくる。
 ℓ字型の耳は右をさかさまにつけたやうな無造作もあるが、天工のおのづからなる名作であらう。
 とにかく、日本の女の魂の原初の姿である。知識も理屈もなく、私はただ見てゐる。
                                                  (川端康成『日本経済新聞』昭和45年5月7日)

 

この文章は、川端が愛蔵の《埴輪 乙女頭部》について綴ったものです。目の前の埴輪の丸い形をじっくりと眺め味わい、細部の造りにも観察は及んでいます。上の引用では省略しましたが、埴輪の出土地や時代についての考察も述べられています。じっくりと眺め、十分に調べを行き届かせたうえで、「日本の女の魂を呼吸する」と鑑賞体験を詩的につづり、「知識も理屈もなく、私はただ見てゐる」と結ぶ。この文章を導きとして、川端の見つめた埴輪の美を、私たちも追体験することができます。

そして、東山魁夷の言葉もまた、彼の作品を理解するための素晴らしい解説になっています。
一例として、本展のポスターにも使用している代表作《北山初雪》についての言葉をご紹介します。

 

01_東山魁夷 《北山初雪》.JPG

 

十二月に入って間もない明るい朝だった。高尾の谷あいには、まだおそい紅葉がわずかに残っていた。栂尾(とがのお)を過ぎると、北の杉山が、うっすらと雪に蔽われているのを見て驚いた。陽の当たる山の斜面は、梢に丸く残された葉の繁みが、粉を振りかけたように白くなって重なり並び、その間を真直ぐな幹の列が、明暗の縞模様を描いてリズミカルに連なっていた。片側の蔭になった暗い谷は、伐採された斜面だけが白くなって、立ち並ぶ杉の繁みを錆群青の深い色に沈め、その上に置く雪を青みのあるグレーに見せていた。
                                              (東山魁夷「冬の北山杉」『京洛四季』所収 昭和44年)

 

《北山初雪》は、ノーベル文学賞受賞祝いとして東山が川端に贈った作品です。京都の四季を描いた連作の一枚で、川端の小説『古都』にも登場する北山の杉が描かれています。杉山に雪が降った一瞬の美を東山が捉えたことは、絵そのものが雄弁に語ってくれますが、彼の文章もまた絵とよく呼応しています。合わせて鑑賞することで味わいが増すのではないでしょうか。

本展では、気になる作品に出会ったら、関連する言葉もぜひ読んでみてください。
                                                         (k.y.)