2017年08月14日龍馬の師・勝海舟と江戸開城
「此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎(かつりんたろう)という大先生に門人となり、ことの外か、かはい(可愛)がられて候」
龍馬は、姉・乙女への手紙で、勝海舟(麟太郎)の弟子となったと自慢げに書いています。
龍馬は勝を「日本第一の人物」とも称しており、勝のもとで得た知識や人脈は、後の龍馬の活動の大きな助けとなりました。
勝は、黒船来航後に提出した海防の意見書が評価され、下級幕臣ながら軍艦奉行等を歴任します。
戊辰戦争では幕府側代表として西郷隆盛と会見、江戸総攻撃を回避し、江戸城を無血開城しました。
川村清雄筆《江戸城明渡の帰途(海舟江戸開城図)》 東京都江戸東京博物館(後期展示)
本作は、旧幕臣の洋画家・川村清雄(かわむらきよお)による、勝の無血開城(江戸城明渡し)の様子を描いたもの。
江戸城石垣の前に立つ勝の足元には、徳川家の家紋が入った瓦が落ち、幕府の終焉を示唆しています。
背後には刀を抜き、怒りの形相の幕府軍将官が描かれ、勝の苦しい立場が表現されています。
新国家樹立を目指して奔走した龍馬ですが、戊辰戦争の直前に暗殺されます。
もし龍馬が生きていたら勝の行動を、どう見たでしょうか。
(s.o)