2021年07月08日吉田博 旅と風景(1)「太平洋から世界へ」

福岡から東京に出て西洋画を学んだ23歳の吉田博は、絵画修行のため、盟友・中川八郎とともに片道だけの船賃を工面し明治32(1899)年に渡米しました。アメリカで資金を作り、美術の本場ヨーロッパを目指す計画でした。

米国での最初の目的地は、ミシガン州南東部の街デトロイト。日本で知り合った実業家・コレクターのチャールズ・ラング・フリーア氏を頼ってのことでした(フリーアの東洋美術コレクションは合衆国政府に寄附され、現在はワシントンのスミソニアン博物館群のひとつ、フリーア美術館になっています)。ところが、訪ねてみると折悪しくフリーア氏は旅行で不在でした。吉田たちは途方に暮れながらも、せっかく来たのだからとデトロイト美術館を見学に出掛けます。そこで彼らの水彩画が館長の目に留まったところから運が開けます。不自由な英語を駆使して何とか意思の疎通を図り、二人展が開催されることになりました。

日本情緒豊かな風景を西洋式に描いた絵は、遠来の異邦人の物珍しさも手伝い大評判を呼びました。二人合わせて40点が売れ、売り上げは1234ドルにもなったといいます。一説には当時の日本の小学校教諭の年収13年分に匹敵するとか。以後、二人は米国各地で展覧会を重ね、十分な旅費を蓄え渡欧しました。

このときデトロイト美術館に買い上げられた吉田博の水彩画《Memories of Japan》は現在も同美術館に収蔵されています。その作品と同じ構図の水彩画《雲井桜》がこのたびの展覧会にも出品されています。雲井桜は奈良県吉野の名木で、名所案内や写真集にも登場する有名な木でした(奈良県吉野郡吉野町のホームページによると、昭和30年代に台風で倒れたそうです)。写真の中には吉田博の絵とそっくりな構図のものもあり、制作との関係が気になるところです。

『旅の家土産(いえづと)第8号 美吉野之巻』明治31(1898)年9月、国立国会図書館デジタルコレクションより転載

《雲井桜》明治32(1899)年頃、水彩・紙、福岡県立美術館(7月25日まで展示)


帰国後、吉田は中川ら明治美術会の若手画家と会の刷新をはかり、後身となる太平洋画会を創立しました。太平洋を渡って海外雄飛した気概が込められた会名は、吉田博の発案だそうです。対照的に、黒田清輝ら白馬会の画家は、国立の東京美術学校(現・東京藝術大学)の教職を占め、国費で渡欧しました。両会は切磋琢磨して日本洋画界の活性化に寄与するのですが、陣笠連の太平洋画会と官僚派ともいうべき白馬会の対立は、芸術観の違いもあり時に激化しました。展覧会の審査を巡る対立から、吉田が黒田に殴りかかったなどというエピソードも伝わります。

 

(k.y)

 

没後70年 吉田博展

会期:2021年6月19日(土)~8月29日(日)
*会期中、一部展示替えがあります(前期7/25まで、後期7/27から)
休館日:毎週月曜日(ただし8月9日(月・休)は開館)、8月10日(火)