2022年08月19日【THE HEROES展】刀剣の見どころ⑤ 《短刀 銘 大和尻懸住則長四十八作之 文保三年己未三月十日》
《短刀 銘 大和尻懸住則長四十八作之 文保三年己未三月十日》 鎌倉時代 文保3年(1319) ボストン美術館
大和(現・奈良県)の刀剣は、千手院(せんじゅいん)、手掻(てがい)、当麻(たいま)、保昌(ほうしょう)、尻懸(しっかけ)の「大和五派」と呼ばれる諸派が平安時代後期から鎌倉時代に現れて以降、他地域とは趣を異にした特色ある作風が展開されました。
鎌倉時代中期から室町時代にかけて隆盛した尻懸派は、則弘を始祖として門流に則長、則成、則国、則真らが存在したと江戸時代の古伝書『本朝鍛冶考』などは伝えています。しかし則長以外には確実な作品が遺されておらず、則長を祖と捉えることが定説となっています。その作品は法隆寺西円堂や多武峰談山神社など大和の社寺に奉納されたものが比較的多く遺されていますが、作風や銘の切り方に違いが認められることから、「則長」を名乗る刀工は数代にわたって存在したとみて間違いありません。
初代の作であるこの短刀で注目されるのは、銘に48歳の年齢と文保3年(1319)の制作年が記されていることです。則長には他に「暦応三六月日六十九」銘の作品も現存し、文永8年(1271)生まれで鎌倉時代末期から南北朝時代初期の22年間以上にわたって作刀したという履歴を知ることができます。
このように刀工自らの年齢を記した刀剣はとても珍しい存在ですが、他に居住地、制作地、官位(受領名)、信仰に関係する神仏の名、所持者や注文者の姓名といった情報が記された作例もあります。茎(なかご)に刻まれた銘文を様々な角度から読み解くことで、刀剣が制作された背景を推測することができます。
ちなみにこの《太刀 銘 一備州長船住助重作 康永貮年十一月十二日》は、銘の冒頭に「一」の字を切り、名前に「助」がつくといった特徴から、備前の吉岡一文字派の刀工とみられています。
この太刀銘で注目すべきは、作者名とともに南北朝時代中期の制作年月日と長船に居住したことを示した点です。当時、長船の地では兼光、元重、近景ら多くの刀工が技を競い合っていましたが、吉岡一文字派も長船派と交流があったことが窺えます。また助重にはこのボストン美術館所蔵の太刀しか有銘作品が遺されておらず、きわめて資料的価値の高い1口と言えます。
(t.t)
「ボストン美術館所蔵 THE HEROES 刀剣×浮世絵-武者たちの物語」
会期:8月28日(日)まで(毎週月曜休館)