2022年08月21日【THE HEROES展】刀剣の見どころ⑥ 《刀 銘 洛陽住信濃守国広 慶長十五年八月日》
《刀 銘 洛陽住信濃守国広 慶長十五年八月日》 江戸時代 慶長15年(1610) ボストン美術館
刀剣研究家・鎌田魚妙が著し、安永8年(1779)に刊行された刀剣書『慶長以来新刀弁疑』によって、慶長(1596-1615)以降に制作された刀剣を「新刀」、それ以前の作刀を「古刀」とする区分が定着しました。その新刀期を代表する名工の一人であり、新刀の祖とも評されるのが、この刀の作者・堀川国広です。
かつて国広は日向国(現・宮崎県)飫肥城主の伊東義祐に仕えていたと伝わりますが、薩摩の島津義弘との争いに敗れて主家が没落したことで、諸国を巡りながら各地で作刀するようになりました。天正12年(1584)制作の太刀は、銘に「日州古屋之住国広山伏之時作之」とあり、九州各地を流浪していた様子が窺えます。その4年後には下野(現・栃木県)足利学校に逗留し、城主長尾顕長の依頼で《山姥切》と号する長船長義の大太刀(重文・徳川美術館蔵)の磨上げを行うとともに、写しを制作しています。
翌天正19年の脇指には「在京時打之」とあることから間もなく京に上ったことが窺えますが、一条堀川に居を定めて作刀を始めたのは、豊臣秀頼の命で高野山金剛峯寺や北野天満宮への奉納刀を制作し、幡枝八幡宮に自ら太刀を奉納した慶長4年(1599)頃だったと考えられています。その後は同19年に没するまで多くの名作を生み、優れた門弟を多く育成して新刀鍛冶発展の基礎を築きました。
ボストン美術館が所蔵するこの刀は、慶長15年の制作年紀から国広晩年の作であることがわかります。刃文は浅いのたれに互の目を交え、「沸(にえ)」と呼ばれる鋼の微粒子がついて洗練された作風は、鎌倉時代末期に相州伝を大成した名工・正宗や貞宗の作を彷彿とさせます。国広の傑出した技量が遺憾なく発揮された見どころの多い1口です。
(t.t)
「ボストン美術館所蔵 THE HEROES 刀剣×浮世絵-武者たちの物語」
会期:8月28日(日)まで(毎週月曜休館)