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おいしいボタニカル・アート

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ここでは、食にまつわる絵画作品を紹介します。18世紀後半から19世紀にかけて、英国では経済的な発展が進み、裕福な中産階級が台頭するようになります。この新しい絵画の顧客層は身近な光景を描いた作品を好み、中でも農村や市井の人々を描いた風俗画が人気を集めるようになります。家族総出の収穫作業、牛を使って畑を耕す場面、庶民が行き交う露店や行商の風景のほか、美しい「庭」としての機能をそなえた家庭菜園「キッチン・ガーデン」や田舎風の趣向をこらした「コテージ・ガーデン」もしばしば描かれました。こうした食にまつわる絵画作品から、食材がどのように作られ、どのように人々のもとに届けられたかに、英国の画家や鑑賞者が関心をもっていたことがうかがえます。

ロバート・ヒルズ《収穫、休息を取る人々》1817年 鉛筆、水彩/紙 個人蔵 Photo Michael Whiteway

トーマス・バーカー(通称「バースのバーカー」)周辺の画家 《野菜を運ぶ人》1830年頃 個人蔵 Photo Michael Whiteway

トーマス・バーカー(通称「バースのバーカー」)周辺の画家 《野菜を売る人》1830年頃 個人蔵 Photo Michael Whiteway

英国由来の野菜は数が少なく、古くから食されていたのはアブラナ科のキャベツやダイコン、カブ類と言われています。穀物は小麦のほか、寒さに強いオーツ麦やライ麦が栽培されていました。また豆類もよく食されていました。1492年にコロンブスがアメリカ大陸に到達すると、アメリカを原産とするジャガイモ、トウモロコシ、トマトなどの野菜が、新しい食材としてヨーロッパに伝えられます。こうした野菜は16世紀にはすでにイギリスに紹介されていましたが、一般に普及するまで時間を要します。例えばトマトは観賞用として流通、トウモロコシはおもに植民地の奴隷のための食物でした。しかし19世紀後半になるとジャガイモ、タマネギ、キャベツ、カリフラワー、ビーツ、アスパラガスなど、現在とほぼ変わらない種類の野菜が、英国の食卓に並ぶようになります。


カブ —
英国で古くから食された野菜
フレデリック・ポリドール・ノッダー《ターニップ(カブ)(『フローラ・ルスティカ』より)》1794年 エングレーヴィング、手彩色/紙 個人蔵 Photo Brain Trust Inc.
トウモロコシ —
16世紀には新しい食材として伝わる
エメ・コンスタン・フィデル・アンリ《トウモロコシ》1828~33年 エングレーヴィング、手彩色/紙 キュー王立植物園 ©The Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew

多くの植物画家を育成したフランスの植物画の大家、スペンドンクの作品
ヘラルドュス・ファン・スペンドンク《キノコの習作》1820年頃 水彩、インク/紙 個人蔵 Photo Michael Whiteway

ビーツ、アスパラガス —
19世紀後半、現在とほぼ変わらない種類の野菜が英国の食卓に並ぶように
ジョゼフ・ヤコブ・リッター・フォン・プレンク《ビーツ》1788~1803年頃 エングレーヴィング、手彩色/紙 キュー王立植物園 ©The Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew
ジョゼフ・ヤコブ・リッター・フォン・プレンク《アスパラガス》1788~1803年頃 エングレーヴィング、手彩色/紙 キュー王立植物園 ©The Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew

ロンドン園芸協会(のちの王立園芸協会)お抱えの画家、ウィリアム・フッカー(1779-1832)は協会のために花や果物の原画や手彩色の版画を制作し、特に果物画で優れた作品を残しました。フッカーの代表作『ポモナ・ロンディネンシス』は、ロンドン近辺で栽培されている果物49種をとりあげて、個々の品種について解説文と手彩色の銅版画の図版を付した書籍です。ポモナとはローマ神話の果樹と果実の女神の名で「ポモナ・ロンディネンシス」は「ロンドンの果物」という意味です。図版のモデルになった果物標本はロンドンのほか郊外の種苗業者や植物園で採集されたものが多く、ロンドン園芸協会をはじめ園芸愛好家からも提供されました。

果実画の名手、フッカーによる『ポモナ・ロンディネンシス』(ロンドンの果実)より
写実的で迫真的かつ、みずみずしい果物を描いた手彩色の銅版画40点(40種)を紹介
《リンゴ「デヴォンシャー・カレンデン」》
《洋ナシ「ショーモンテル」》

《プラム(西洋スモモ)「ラ・ロワイヤル」》
《モモ「グリムウッズ・ロイヤル・ジョージ」》

《サクランボ「エルトン」》
《ブドウ「ブラック・プリンス」》

《ラズベリー「イエロー・アントワープ」》
《イチゴ「ウィルモッツ・レイト・スカーレット」》


第2章紹介作品すべて ウィリアム・フッカー 1818年 スティップル・エングレーヴィング、アクアチント、手彩色/紙 個人蔵 Photo Michael Whiteway


第3章 日々の暮らしを彩る飲み物
お茶 —
英国を魅了した東洋のエキゾチックな飲み物
インド(カンパニー・スクール)の画家《チャの木》19世紀初め ガッシュ、アラビア・ゴム/紙 キュー王立植物園 ©The Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew

コーヒー —
お茶よりも早く英国社会に浸透
インド(カンパニー・スクール)の画家《コーヒーの木》1810年頃 ガッシュ、アラビア・ゴム/紙 キュー王立植物園 ©The Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew

カカオ —
19世紀前半まで高価で贅沢だった飲み物、チョコレートの原料
無名の北インドの画家、もしくは(おそらく)中国の画家(過去にジャネット・ハットン[1810年代に活躍]の作品とみなされる)《カカオ》1810年頃 ガッシュ/紙 キュー王立植物園 ©The Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew

砂糖 —
嗜好品からビールに代わる労働者のカロリー源に
ジョン・B・パーカー《サトウキビ》制作年不明(おそらく19世紀) おそらくペン、鉛筆、水彩/紙 キュー王立植物園 ©The Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew

高価な茶葉は鍵付きのティーキャディーに。
陶磁器や銀器など豪華な茶道具がテーブルを飾る
《ティー・キャディー》18世紀 銀 個人蔵 Photo Michael Whiteway
ロバート・ヘンネル1世《ティーポット》1781年 銀、木 個人蔵 Photo Michael Whiteway
ミントン《ティーカップ&ソーサー》1885年 磁器 個人蔵 Photo Michael Whiteway

18世紀の初め頃になると、果物が食後のデザートとして提供されるようになります。その多くは英国の国外から伝えられたものでした。例えばザクロは南ヨーロッパから、モモはインドや中国から、スイカはエジプトやインドから伝えられました。こうした舶来の果物の中でも、特に珍重されたのがオレンジやレモンなどの柑橘類です。どちらもインドやヒマラヤ地方を原産とする植物で、アラビアを経由して欧州に伝わりました。気温が低く日照時間が短い英国では、霜にあたらないように柑橘類専用の温室「オランジュリー」が欠かせませんでした。柑橘類のほか、温室でなければ育たない果物は、19世紀までは英国富裕層のぜいたく品であり、晩餐会でどのように演出するかに注目が集まりました。


英国で特に珍重された柑橘類
ピエール・アントワーヌ・ポワトー《ビター・オレンジ》1807~35年 スティップル・エングレーヴィング、手彩色/紙 個人蔵 Photo Michael Whiteway

著名な植物画家、エーレットの作品
ゲオルク・ディオニシウス・エーレット《ザクロ》1771年 エングレーヴィング、手彩色/紙 キュー王立植物園 ©The Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew

作者不明《ココヤシ》19世紀初め ガッシュ、水彩(および おそらくアラビア・ゴム)/紙 キュー王立植物園 ©The Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew

家庭での簡単な治療に、薬として活用されていたのがハーブです。近代に入るまで、各家庭では庭に生えるハーブを受け継がれた処方にもとづき調合していたと考えられています。コショウやシナモンに代表されるスパイスは、ハーブ同様に保存料や薬品として古くから活用されていました。ただしスパイスの多くはアジアを原産地としているため稀少で、高値で取引されていました。しかしスパイスの需要は高く、15世紀になると欧州各国はアラビアを経由せずにアジアに到達するルートを模索しはじめます。英国はポルトガルとスペインに続くかたちでスパイス原産地の争奪戦に参加し、18世紀にはインドやシンガポールなどを植民地としました。

植物の有用有害の識別や効能を英語で記し、
ロングセラーとなった一般大衆向け植物図譜『カルペパー薬草大全』

ニコラス・カルペパー《『カルペパー薬草大全』》1814年(初版1653年) エングレーヴィング、手彩色/紙 個人蔵 Photo Brain Trust Inc.


おそらくインドの画家(ジャネット・ハットン[1810年代に活躍]の作品とみなされる)《コショウ》 1810年頃 ガッシュ/紙 王立キュー植物園 ©The Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew

18世紀から19世紀にかけて、農耕技術の進化や流通の効率化により、都会の一般家庭でも様々な作物が手に入るようになりました。またプラントハンターたちの活躍により海外から導入された新しい食物が、次第に普及し始めていきます。そのため新しい野菜や果物をどのように使うか、各家庭において指南書が必要となりました。印刷技術が普及するまでは手書きのレシピ帖が、19世紀にはいると家庭向けの雑誌や書籍が指南書として活用されました。

ヴィクトリア期の主婦のバイブル
イザベラ・ビートン著《『ビートン夫人の家政読本』》1901年出版 書籍 個人蔵 Photo Michael Whiteway

R&Sガラード《ブドウ柄コンポート(脚付き皿)》1868年 銀、ガラス 個人蔵 Photo Michael Whiteway

ロイヤル・クラウン・ダービー《スピル・ヴェース(点火用こより入れ)》1900年頃 磁器 Photo Michael Whiteway


このほか、19世紀英国のテーブル・セッティングを再現したフォトスポットや、英国伝統菓子のレシピを展示室内で紹介。

展示室内にはフォトスポットとして、ヴィクトリア朝の主婦のバイブル『ビートン夫人の家政読本』を参考にした19世紀のテーブル・セッティングを再現。また、スコーンやトライフル、リンゴのタルトなど、英国伝統菓子のレシピを山本麗子氏(料理、菓子研究家)の協力により紹介します。

山本麗子氏によるトライフル
レシピ協力/山本麗子氏(料理、菓子研究家)