過去の展覧会
第1章:出発点 アニメーション映画への情熱
高畑勲は1959年東映動画(現・東映アニメーション)へ入社し、20代からアニメーションの演出家(監督)を目指します。本章では日本のアニメーション史において画期的であった若き高畑の演出術を、遺品の中から見つかった膨大な未公開資料とともに、その制作プロセスに焦点を当てながらご紹介します。また、多種多様な資料の中には自筆の譜面も多く含まれます。高畑が初期作品から映画音楽に深く携わっていたことにもご注目ください。
すべての常識を覆した革新的長編
第2章:日常生活のよろこび アニメーションの新たな表現領域を開拓
東映動画を去った高畑は 、テレビの名作シリーズで新境地を切り拓きます。 毎週1話を完成させなければならない時間的な制約があるなか、一切の妥協を許さずさまざまな表現上の工夫を凝らし、1年間52話で完結する質の高い作品の数々を生み出しました。
本章では宮﨑駿、小田部羊一、近藤喜文、井岡雅宏、椋尾篁らとのチームワークを、 絵コンテやレイアウト、背景画などによって検証し、高畑演出の秘密に迫ります。
(絵/宮﨑、文字/高畑、宮﨑)
第3章:日本文化への眼差し 過去と現在の対話
高畑の関心は次第に日本を舞台にした作品へと向かい、その風土や庶民の生活のリアリティーをいきいきと描き出すことに注力します。1985年にスタジオジブリ設立に参画すると、『風の谷のナウシカ』(1984)や『天空の城ラピュタ』(1986)のプロデューサーを務めながら『火垂るの墓』(1988)を発表。日本人の戦中・戦後の経験を現代と地続きのものとして語り直す手法や、現地調査に基づく徹底したリアリズムは、海外でも高い評価を得ます。
第4章:スケッチの躍動 アニメーションの新たな表現領域を開拓
高畑は90年代になると絵巻物研究に没頭し、その伝統的な視覚表現の中に日本のアニメーションのルーツを見出します。絵巻物のように人物と背景が一体化した表現を模索した高畑は、手描きの線の質感を生かした描法と、余白を残した淡彩画により、従来のセル様式とは一線を画した新たな表現に到達しました。本章ではデジタル化が急速に進む中、あえてスケッチ(活写)にこだわった膨大な作品と資料により、遺作となった『かぐや姫の物語』誕生の舞台裏をご紹介します。
高畑勲 (1935-2018)
1935年 | 三重県生まれ、岡山県で育つ |
1959年 | 東京大学文学部仏文科を卒業。同年東映動画(現・東映アニメーション)に入社 |
1968年 | 劇場用長編初監督となる『太陽の王子 ホルスの大冒険』完成 |
1974年 | 『アルプスの少女ハイジ』(テレビ)全話を監督 |
1976年 | 『母をたずねて三千里』、1979年『赤毛のアン』(共にテレビ)全話を監督 |
1981年 | 『じゃりン子チエ』、1982年『セロ弾きのゴーシュ』(共に脚本・監督) |
1984年 | 『風の谷のナウシカ』のプロデューサーを務める |
1985年 | スタジオジブリを設立 |
1986年 | 『天空の城ラピュタ』のプロデューサーを務める |
1988年 | 『火垂るの墓』(脚本・監督) |
1991年 | 『おもひでぽろぽろ』(脚本・監督) |
1994年 | 『平成狸合戦ぽんぽこ』(原作・脚本・監督) |
1998年 | 紫綬褒章受章 |
1999年 | 『ホーホケキョ となりの山田くん』(脚本・監督) |
2013年 | 『かぐや姫の物語』(原案・脚本・監督) |
2015年 | 『かぐや姫の物語』が第87回アカデミー賞の長編アニメーション賞にノミネート フランス芸術文化勲章オフィシエ受章 |
2018年 | 4月5日、82歳で亡くなる |
*太字タイトルは出品作品です
[主な著作]
『映画を作りながら考えたこと』(1984)、『十二世紀のアニメーション』(1999)、『アニメーション、折にふれて』(2013)など多数。また、小学6年の国語の教科書(光村図書出版)に掲載されている『「鳥獣戯画」を読む』の作者としても知られている(2008-)。