これからの展覧会

パウル・クレー展
【第1章】 詩と絵画
【第2章】 色彩の発見
【第3章】 破壊と希望
【第4章】 シュルレアリスム
【第5章】 バウハウス
【第6章】 新たな始まり
チュニジアへの旅 色彩の発見
《チュニスの赤い家と黄色い家》1914年 パウル・クレー・センター
日本初公開
《ハマメットのモティーフについて》1914年 バーゼル美術館
前衛への意識
カンディンスキーとの出会い
ヴァシリー・カンディンスキー《「冷たいかたちのある即興」のための習作》1914年頃 静岡県立美術館 [6/7-7/6展示]
友人の戦死と画家としての成功
フランツ・マルク《冬のバイソン(赤いバイソン)》 1913年 バーゼル美術館
シュルレアリスムの先駆者
《鳥=島》 1921年 パウル・クレー・センター
自然研究の道
《バラの風》 1922年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)
日本初公開
《周辺に》 1930年(1935-36年加筆)バーゼル美術館
色彩の宇宙
《橋の傍らの三軒の家》1922年 宮城県美術館
《蛾の踊り》 1923年 愛知県美術館
バウハウスのマイスター
《赤、黄、青、白、黒の長方形によるハーモニー》1923年 パウル・クレー・センター
《北方のフローラのハーモニー》1927年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)
予期せぬ病と
途絶えることのない創造
《山への衝動》1939年 東京国立近代美術館
クレー最後の静物画
《無題(最後の静物画)》1940年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)

※作家名の表記がないものはすべてパウル・クレー制作

バウハウスのアトリエにいるクレー、ヴァイマル 1923年
パウル・クレー(1879-1940)
音楽一家の子としてスイス・ベルン近郊の町に生まれる。画家になるべくミュンヘンに移り、1912年にカンディンスキーら青騎士の展覧会に参加。1914年にマッケ、モワイエとともにチュニジアを旅行し、日記に「色彩が私を捉えたのだ」と記す。第一次世界大戦における友人の死と従軍を経て、1921年からバウハウスで授業を行う。1933年末、ナチ政権の迫害を受けベルンに移住。以後、アメリカでの評価を確立するも1940年に没する。