これからの展覧会

1. 民藝はずっと僕の根っこにある
芹沢銈介に憧れて染色の道に進んだ柚木は型染を学び、その一種である注染技法に取り組みました。浴衣や手ぬぐいなど小幅の布を染める技法だった注染を、試行錯誤の末に広幅の布地へと応用することに成功し、生活の洋風化にも対応できる染めものを展開しました。
初めての染色作品

広幅注染、
上下線対称の面白さ
上下線対称の面白さ

自由な発想で、新しい着物を

《型染むら雲三彩文着物》 1967年 日本民藝館
2. ワクワクしなくちゃ、つまらない
1980年代、自らの仕事に自己模倣の恐れを感じた柚木は、版画やガラス絵、立体造形など新たな表現手法に活路を求め、絵本の制作にも取り組むなど、その創作世界はますます豊かになりました。一方、服地としての需要の減少を背景に、染色作品は実用から開放され、自然と自分自身のための「作品」として制作するように変化したといいます。
整列する人々と小鳥、
どこかユーモラスなかたち
どこかユーモラスなかたち


肉筆から立体へ、広がる絵本の世界

《『トコとグーグーとキキ』絵本原画》 2004年 公益財団法人 泉美術館


3. 旅の歓び
この章では、「柚木を巡る旅」をテーマに、作家ゆかりの地や柚木の国内外への旅にまつわる作品や資料を紹介します。民藝との出会いの地である岡山県、青春を過ごした地の長野県松本市、染色修業の起点となった静岡県、憧れの詩人宮沢賢治の故郷である岩手県、柚木と親交厚い舩木家の窯元を擁する島根県には、それぞれ柚木との関わりを物語る作品や資料が残されています。また、制作に大いに影響を与えたインドや憧れの地パリへの旅を巡る制作もご紹介します。

《『注文の多い料理店』絵葉書型染原画》 1969-72年 光原社 撮影:いわねだいすけ


4. 今日も明日は昨日になる
「物心がついたのは80歳になってから。」とはユーモアたっぷりな柚木の言葉です。実際に2000年代以降、柚木の活動の場はさらに大きく広がってゆきます。インテリアショップ・イデーでの展示や、カフェやホテルなど商業空間のための制作など若い世代との協働も新たな刺激となりました。2011年の東日本大震災や2020年からのパンデミックなど困難が続く時代にあって、柚木の作品の自由さ、力強さは一層輝きを増し、暮らしを明るく彩ってくれるのです。
トウモロコシに託す
いのちを支える「食」
いのちを支える「食」



《型染布「ツバメのうた」》 2017年 日本民藝館

サイカチの老樹に
自らを重ねる
自らを重ねる


《型染水辺文二曲屏風》 1995年
「見る人が楽しい気持ちになって、
ゆっくり過ごしてもらえたら」
ゆっくり過ごしてもらえたら」

《「DEAN & DELUCA」カフェのための作品原画》 2021年 ディーン&デルーカ 撮影:奥田正治

撮影:木寺紀雄
柚木沙弥郎について
1922年、洋画家・柚木久太の次男として東京に生まれた柚木沙弥郎は、東京帝国大学文学部美学美術史学科在学中に学徒出陣、静岡県牧之原の大井海軍航空隊基地で終戦を迎えました。戦後は父の生家のある倉敷へ復員し、就職した大原美術館で、柳宗悦らの民藝の思想と芹沢銈介の型染カレンダーに出会い、染色を志しました。芹沢の紹介により静岡県・由比の正雪紺屋で染色の基礎を学び、日本民藝館展や国画会、芹沢門下の萠木会、そして全国の民藝店での個展などを通じて、自由でのびやかな形と豊かな色彩の染色作品を数多世に送り出しました。また、1950年から女子美術大学工芸科で長らく教育にも携わり、1987年から1991年までは学長を務めるなど後進の育成にも足跡を残しています。1980年代以降は染色を主軸にしながらも、版画やコラージュ、絵本、立体作品、ガラス絵など創作世界を広げました。2000年代に入ると、インテリア・ショップ・イデー(IDÉE)での展覧会や、カフェやホテル内のアートワーク、企業との協働による製品づくりなど、現代の暮らしと結びついた活動でも知られるようになる一方、実用を離れた自由な表現としての染色作品を制作し続けました。