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東海道の美 駿河への旅

第一章 描かれた東海道

慶長六(1601)年、徳川家康は江戸幕府開府に先んじて五街道の整備に着手します。江戸と京都を結ぶ東海道には五十三の宿駅が設置され、参勤交代の大名行列や外国使節、旅人の往来等で大いに賑わいました。また、街道の繁栄とともに「東海道」を主題にした絵画が多く生み出されるようになりました。東海道図屏風もその一つで、その成立や享受層について詳細は未だ明らかではありませんが、旅の普及などで東海道への関心が高まった江戸前期より隆盛したとみられます。

<東海道図屏風の世界>

東海道の各宿と周辺の景観を描いた東海道図屏風は、江戸時代前期頃より隆盛しました。東海道を描いた屏風を並べ、旅と風景の豊かな世界を紹介します。


大名行列、朝鮮通信使、鷹匠…街道を往来する人々の姿にも注目

静岡県指定文化財《東海道図屏風(マッケンジー本)》 江戸時代、静岡市

狩野派が描いた「東海道図屏風」。初期の基準作としても重要

狩野宗信《東海道五十三次図屏風》 東京都江戸東京博物館【前期】

江戸初期の街道に賑わいを今に伝える

《駿府城下行列図屏風》 江戸時代、千葉市美術館


<東海道の中の駿河>

東海道の中間にある駿河では、江戸と上方双方の文化の影響を受け、風景の描き方や画題など多様な表現が展開しました。江戸時代の絵画からよみがえる駿河の風景をご覧いただきます。


伝雪舟の《富士三保清見寺図》に倣う。
富士山に三保松原は室町からの伝統的な画題
杉谷行直筆 深田正韶賛《富士三保清見寺図》 弘化3(1846)年賛、清見寺

幅177㎝の大作!江戸時代に登場した富士山の新名所
静岡県指定文化財 村松以弘《白糸瀑図》 江戸時代、掛川市二の丸美術館

現地写生をもとに描いた富士山
原在正《富士山図巻》(部分)四巻 寛政8(1796)年頃、個人蔵【前期】

原(沼津)は東海道で最も富士山が大きく見えた地域として江戸時代に有名だった。
画面に収まりきらない壮大な富士山!
葛飾北斎《東海道五十三次 十四 原》文化年間(1804-18)初中期 名古屋市博物館【前期】
歌川広重《東海道五十三次之内 原 朝之冨士》天保5-7(1834-36)年頃 神奈川県立歴史博物館【前期】


第二章 東海道が育んだ美術

東海道は文雅に親しむ駿河の文人たちと京や江戸の絵師たちとの交友を可能にしました。十八世紀には、池大雅(1723-76)・与謝蕪村(1716-83)らの文人画(南画)や、円山応挙(1733-95)を始めとした円山派や四条派、司馬江漢(1747-1818)の洋風画、伊藤若冲(1716-1800)、曽我蕭白(1730-81)など、江戸、京都を中心に民間の個性的な絵師たちが次々と登場し、多彩な絵画が展開します。こうした新興の美術は、東海道を通じて詩書画を愛好した駿河の文人たちに歓迎されるとともに、絵画や俳諧などによる交流も行われました。

<各家を彩った東西の絵師の名品を一堂に!>

“原の白隠さん”こと松蔭寺住職・白隠が、
原の植松家のために描いた「馬上才」(朝鮮通信使の曲馬)
白隠慧鶴《曲馬図》 延享~宝暦前期(1744-53)頃 東京国立博物館

東海一の名園と謳われた帯笑園たいしょうえん(沼津)を彩る応挙最晩年の名品
円山応挙《山水図小襖》寛政6(1794)年 東京国立博物館

植松家が井伊家より拝領したと伝わる
狩野栄信《琴棋書画図屏風》(右隻) 文化13⁻文政9(1816-26)年 東京国立博物館【前期】

蕭白が晩年に描いた山水図
曽我蕭白《山水図》 江戸時代 東京国立博物館

渦巻く蔓に藤戸朝顔が呼応する
円山応瑞《花鳥図》 江戸時代、個人蔵

京都・海福院の住職・斯経が〝形見〟として帯笑園の主・植松蘭渓に贈った掛軸
狩野山雪《猿猴図》 江戸時代 東京国立博物館

藤枝・大塚家に伝来 ― 司馬江漢が描く駿河の風景
司馬江漢《長沼村富士眺望図》 文化(1804-18)年間 静岡県立美術館


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