• 2017年10月22日 展覧会「デンマーク・デザイン」、来場1万人を達成!!

    現在開催中の「デンマーク・デザイン」展、10月21日(土)に来場者1万人を達成しました!

     

    1万人目のお客様は、静岡市からお越しの川嶋さんご家族。

    よくお二人で美術館へお出かけされるとのこと。

    当日はクラシックミニコンサートと展覧会をあわせてご鑑賞くださいました。

     

    当館館長から、記念品を贈呈しました。おめでとうございます!

     

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    「デンマーク・デザイン」展は11月12日(日)まで。

    デンマークの近代から現代までのデザイン史を、家具や食器、照明器具、玩具など約200点の作品で辿る

    日本初の展覧会です。

    この機会にぜひご覧ください。

     

     

    (m.i)

     

     

     

  • 2017年10月20日 デンマーク・デザインの魅力② ペンダント・ランプ〈PH(ピー・ホー)〉シリーズ 

    ただ今当館で開催中の「デンマーク・デザイン」展の魅力に迫るブログシリーズの2回目、

    今回は、照明器具デザインのパイオニアと言える、ポウル・ヘニングスンの照明器具をご紹介します。

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    ポウル・ヘニングスン ペンダント・ランプ〈PH アーティチョーク〉 1957年 ルイスポールセン 個人蔵 photo: Michael Whiteway

    〈PH(ピー・ホー)アーティチョーク〉は、直径84㎝、重量は最大25㎏にもなる大きな球体状の照明器具です。松ぼっくりの通称でも親しまれるこの作品は、公共建築などの照明として使用され、圧倒的な存在感を示しています。

    総数72枚ものシェードはひとつひとつバラバラで隙間もありますが、眩しさを感じません。シェードすべてに光が当たるよう調整し、光の反射や拡散をコントロールして「グレア」というぎらつきを抑えています。

    ヘニングスンのランプの特徴は、何といってもその計算された形状のシェードです。

    中でも〈PH5〉は、対数らせんという独特のカーブを描くシェードをもつ、ヘニングスンのPHシリーズの代名詞と言える有名なデザインです。

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    ポウル・ヘニングスン ペンダント・ランプ〈PH 5〉 1958年 ルイスポールセン 個人蔵 photo : Michael Whiteway

    一見すると白を基調としたシンプルなシェードですが、内部をのぞき込むと、青や赤に塗装されていることに気づきます。

    スイッチを入れると、この塗装された反射板に光があたり、爽やかでありながらも、柔らかく温かな光が生み出されます。

    ちなみに、作品名の「5」は、シェードの直径が50㎝であることに由来しています。

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    展覧会のポスターイメージにも採用した〈PHコントラスト〉にも、様々なしかけが隠されています。

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    ポウル・ヘニングスン ペンダント・ランプ〈PH コントラスト〉 1958-1962年 ルイスポールセン 個人蔵 photo : Michael Whiteway

    例えばシェードの外側はつや消しの白塗装ですが、内部はやはり青や赤に塗り分けられています。さらに、電球は、上下に位置を変えられる仕組みとなっています。上にあげると青みを帯びた光に、下にさげると赤みを帯びた光に変わります。

    〈PHコントラスト〉の名称は、色のコントラストを変える機能がついている事によります。

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    ヘニングスンは、光がもつ科学的な側面に関心を寄せ、機能と美しさが調和した、人々の暮らしに快適な照明を探求し続けました。

    これら一連のシリーズは、ルイスポールセン社との協働により制作されたもので、現在でも購入可能な親しみあるデンマーク・デザインと言えるでしょう。

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    北欧諸国で最も南に位置するデンマークは、スカンジナビア半島にあるフィンランドやノルウェーと比較すると温暖な気候とはいえ、冬は日照時間が短く、家で過ごす事の多い暮らしです。

    照明器具は生活に欠かせないものであり、必然的に、温かみのある心地よい光を求めました。

    部屋全体を明るく照らすランプではなく、家族が集まってくつろぐに足りる、十分な光。

    デンマークの照明器具は、北欧特有の穏やかな自然光に調和した、暮らしを柔らかく彩るデザインなのです。

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  • 2017年10月13日 デンマーク・デザインの魅力① レゴブロック

    10月に入り、すっかり秋めいてまいりました。

    こんな季節には、展覧会鑑賞がぴったりですね!…という訳で、

    本日より数回に分けて、ただ今当館で開催中の「デンマーク・デザイン」展の魅力をご紹介していきます。

    本展は、デンマークの近代から現代までの、様々なジャンルのデザイン約200点を紹介するものです。

    その中でも最も有名で、誰もが知っている玩具といえば…、そう、レゴ社のレゴブロックです。

    レゴ社は1932年に創業し、木製玩具の制作からはじまりました。

    プラスチック製玩具の制作に乗り出したのは1947年の事です。その2年後に最初のレゴブロックが誕生しました。

    現在のかたちのレゴブロックが発表されたのは1958年です。以来、50年以上たった現在もその仕組みは変わらず、

    世界中の子ども達に親しまれています。

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    オーレ・キアク・クレスチャンスン 無限連結式ブロック玩具〈レゴブロック〉 1960年頃 レゴ 個人蔵 photo: Michael Whiteway

    なぜレゴブロックは、子ども達の心を捉えて離さないのでしょうか。

    その魅力は、無限に広がる遊びの可能性を秘めている事かも知れません。

    ここに、2×4のポッチがついた基本のレゴブロック6個があるとします。

    これらを組み立ててできる形は、いったい何通りあるでしょうか?

    …正解はなんと、9億1500万通り以上!想像をはるかに超えた驚きの数字です。

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    オーレ・キアク・クレスチャンスン 無限連結式ブロック玩具〈レゴブロック〉 1960年頃 レゴ 個人蔵 photo: Michael Whiteway

    レゴ社の創業者オーレ・キアク・クレスチャンスンは、その社名をデンマーク語で「よく遊べ」を意味する「leg got」から名付けました。木製玩具の制作から始まり、やがてプラスチック製ブロックへと移行してからも「子どもには最高のものを」という方針を掲げ、現在にまで受け継がれています。

    さて、展覧会では、現在のかたちになった1960年頃のレゴブロックに加え、様々なシリーズが登場した1970年代のものを中心に紹介しています(1970年代のレゴブロックは、全国を巡回する本展において、静岡会場限定の出品となります)。この1970年代に製造されたシリーズは現在のレゴシリーズのルーツとも言え、レゴファンの間で「オールドレゴ」として親しまれています。

    大中小の歯車と軸、軸受けブロックを組み合わせて、歯車が動く仕組みをつくる事ができる「ギアセット」や

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    「レゴ汽車セット」も、1970年代の人気ラインナップのひとつです。

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    また、様々な建物と小型の乗り物等がセットとなった「レゴランドシリーズ」も登場します。

    「レゴランド」は、1968年にデンマークに開園したレゴのテーマパークの名前で、1971年頃よりシリーズ名にも使われるようになりました。

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    1973年には、水に浮かぶ初めてのレゴブロックの船のシリーズが発売されます。

    中は空洞で、接合部分からの水漏れもありません。船体の下部には水に浮かべる際の部品(おもり)が装着できるようになっています。車輪パーツも取付け可能で、床で走らせることもできます。

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    そしてレゴと言えば、黄色い顔とアルファベットのCに似た手の「ミニフィギュア」が印象的ですが、この元祖と言えるフィギュアが、1974年に初めて誕生しました。

    ブロックの体に丸い頭と動く腕がついたフィギュアは、お父さん、お母さん、男の子、女の子、おばあさんの「レゴファミリー」として発売され、当時爆発的な人気を博しました。

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    そして1年後の1975年に、セットの一部として最初のミニフィギュアが登場します。

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    …しかし、黄色い顔には目や口はなく、腕や足も分かれていません。

    目や口がプリントされた顔に動く手足の、現在のミニフィギュアに改良されたのは3年後の事です。

    頭部のポッチには髪やヘルメットを、手にも道具などを装着する事ができるミニフィギュアは、レゴブロックの創造的な遊びを大きく飛躍させました。時には子ども達の分身となって、自身が築いたレゴブロックの世界を縦横に遊びまわるのです。

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    ちなみに、展示室内最後のスペースには、レゴブロックの中で最も大きなサイズの「レゴソフト」で遊べるコーナーも用意しています!小さなお子様も安心して遊べますよ。

    「デンマーク・デザイン」展は11月12日まで開催しています。ぜひご家族でお出かけください。

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    (s.m)

  • 2017年09月28日 デンマーク・デザインにみる幸せのかたち

    近年、ますます熱気を帯びる北欧ブーム。

    自然との親和性に富んだ温かみのあるデザインは、日本でも高い人気を得ています。

    近頃は、国連が発表する国民の幸福度ランキングで常に上位を獲得するなど、

    福祉国家としてのイメージも定着しています。

    本展で取り上げるデンマークも北欧諸国の一つです。

    世界的なデザイナー、ウェグナーやヤコブセンなどを輩出したデザイン大国として有名です。

    デザイナーの名前を知らなくとも、シェードを幾重にも重ねたヘニングスンのランプ〈PH(ピー・ホー)〉シリーズなど、

    その特徴的なフォルムを一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

    「デンマーク・デザイン」展は日本で初めて開催される、デンマーク・デザインに焦点を当てた展覧会です。

    近代から現代までの様々なデザイン約200点を紹介しています。

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    ポウル・ヘニングスン ペンダント・ランプ〈PH コントラスト〉 1958-1962年 ルイスポールセン 個人蔵 photo : Michael Whiteway

    デンマーク・デザインの特徴として、まず、木などの自然素材を多く用いていることが挙げられます。

    自国の森林資源に輸入材も取り入れながら、木を使ったものづくりの文化が発達しました。

    次に、優れた職人技に裏付けられたフォルムの美しさです。

    有機的なかたちと遊び心にあふれるデザインは「オーガニック・モダニズム」と呼ばれ、独自の魅力を放ちます。

    この高い造形力と技術力の背景には、デンマークならではのものづくりの伝統があります。

    デンマークには、数十年前まで「スネーカーマスター」という優れた家具職人の親方が経営する工房がありました。

    デザインを生み出すデザイナーと、これをかたちにする工房は対等かつ強い信頼関係にあり、

    この協働により数多くの名作が誕生しました。

    三つ目の特徴は「リ・デザイン」という考え方です。

    古い家具の研究と改良から、時代にあった新しいデザインを生み出す手法は、

    デンマーク・デザインの根幹を成しています。

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    ハンス・ヴィーイナ[ウェグナー] 椅子 JH550〈ピーコックチェア〉 1947年 ヨハネス・ハンスン 個人蔵 photo: Michael Whiteway

    自身も家具職人の資格を持つウェグナーは、代表作〈ピーコックチェア〉を

    名匠ヨハネス・ハンスンとの協働により創り上げました。

    古典研究と手仕事の技による独創的なフォルムは、

    デンマークが培ってきた知恵と技術の結晶と言えるでしょう。

    デンマーク・デザインは、伝統的なものづくりの精神が育んだ、人々の暮らしを豊かにするかたちなのです。

    (s.m)

  • 2017年08月22日 龍馬の愛刀《吉行》

    「没後150年 坂本龍馬」ですが、夏休み期間という事もあり、小学生からご高齢の方まで、様々な年代の方にご来場いただいています。

    そして、職員も驚きだったのが、若い女性からの人気!

    刀のケースの前でじっくりと鑑賞されている姿が印象的です。

     

    さて、この龍馬の愛刀《吉行》。

    1年ほど前、《吉行》に関する研究成果が発表され、大きな話題となりました。

     

    《吉行》は昭和6(1931)年、札幌の坂本家より京都国立博物館に寄贈されました。

    伝来は確かであったものの、反りがほとんどなく、直刃風(すぐはふう)の刃文(はもん)で、《吉行》の特徴である波打つような刃文が見られないなど、《吉行》の作風と異なることから、懐疑的な意見もありました。

     

    しかし近年、坂本家子孫の記録に「大正2(1913)年、釧路市の大火で鞘が焼失し刀身も反りを失った」と記されていたことが判明。

    科学的な検証作業でも、刀身にうっすらと本来の波打つような刃文が確認されました。

    他にも、この刀は龍馬が暗殺される際に所持し、刺客の刀を鞘ごと受けたと書かれた記録も見つかり、「龍馬の刀か否か」という疑義は払拭されたのです。

     

    龍馬は、兄・権平宛の手紙で、《吉行》を常に帯刀しており、欲しがる者もいるが、「兄の賜なりとてホコリ(誇り)候」と書いています。

    龍馬が最期まで所持した愛刀、ぜひ間近でご覧ください。

    少し下から見ると、拳の形のような刃文が見えますよ。

     

     

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    《刀 銘吉行》坂本龍馬佩用 京都国立博物館

     

     

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  • 2017年08月20日 龍馬の暗殺と血染掛軸

    今年は大政奉還150年、そして坂本龍馬の没後150年でもあります。

     

    龍馬が日本史上はたした役割は、大きく2つあります。

    1つは、西郷隆盛ら薩摩藩と、桂小五郎ら長州藩の仲を取り持ち、薩長同盟を締結させたこと。

    もう1つは、外国の脅威が迫る中、仲間とともに大政奉還(幕府による朝廷への政権返上)を推進したこと。

    薩長が後に明治政府の中核をなすことを見ても、龍馬の行動は、後の明治維新に少なからず影響を与えたといえましょう。

     

    しかし、龍馬は維新を見届けることなく、慶応3(1867)年11月、京都・近江屋で中岡慎太郎と談論中に、突如乱入した数名の刺客により暗殺されました。

    わずか33歳。大政奉還から1か月、新たな国家体制を作るため、奔走する最中の事件でした。

     

    8月15日から展示が始まった、重要文化財《梅椿図(血染掛軸)》。

    実は、龍馬が暗殺された部屋の床の間に掛かっていたものです。

    掛軸の作者は文人であり支援者であった板倉槐堂で、事件後、海援隊士・長岡謙吉により表具上部に追悼文が記されました。

    表具の下部には、今も血の飛び散った痕が残り、生々しい現場の様子を伝えています。

     

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    重要文化財 板倉槐堂筆《梅椿図(血染掛軸)》 京都国立博物館 (8/15-8/27展示)

     

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  • 2017年08月18日 静岡市美術館 展覧会通算観覧者数が100万人を達成!

    2010年に開館した静岡市美術館ですが、本日、展覧会の通算観覧者数が100万人を達成しました!

     

    100万人目のお客様は、富士市からお越しの村松さんご一家。

    お姉さんの夏休みの宿題のため、龍馬展に足を運んでくださいました。

     

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    村松さんご一家には、田辺信宏静岡市長より、美術館オリジナルグッズなどの記念品を贈呈しました!

    おめでとうございます!

     

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    取材にもしっかりとこたえてくださいました!

     

     

    誰もが気軽に立ち寄れる”ちょっと面白い、街の中の広場”として、これからも様々なジャンルの展覧会を開催していきます。

    皆さまのご来場をお待ちしています。

     

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  • 2017年08月14日 龍馬の師・勝海舟と江戸開城

    「此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎(かつりんたろう)という大先生に門人となり、ことの外か、かはい(可愛)がられて候」

     

    龍馬は、姉・乙女への手紙で、勝海舟(麟太郎)の弟子となったと自慢げに書いています。

    龍馬は勝を「日本第一の人物」とも称しており、勝のもとで得た知識や人脈は、後の龍馬の活動の大きな助けとなりました。

     

    勝は、黒船来航後に提出した海防の意見書が評価され、下級幕臣ながら軍艦奉行等を歴任します。

    戊辰戦争では幕府側代表として西郷隆盛と会見、江戸総攻撃を回避し、江戸城を無血開城しました。

     

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    川村清雄筆《江戸城明渡の帰途(海舟江戸開城図)》 東京都江戸東京博物館(後期展示)

     

     

    本作は、旧幕臣の洋画家・川村清雄(かわむらきよお)による、勝の無血開城(江戸城明渡し)の様子を描いたもの。

    江戸城石垣の前に立つ勝の足元には、徳川家の家紋が入った瓦が落ち、幕府の終焉を示唆しています。

    背後には刀を抜き、怒りの形相の幕府軍将官が描かれ、勝の苦しい立場が表現されています。

     

    新国家樹立を目指して奔走した龍馬ですが、戊辰戦争の直前に暗殺されます。

    もし龍馬が生きていたら勝の行動を、どう見たでしょうか。

     

    (s.o)

     

     

  • 2017年08月13日 重要文化財 渡辺崋山筆「千山万水図」

    「没後150年 坂本龍馬」展の会期ものこり2週間となりました。

    後期からは、静岡会場だけの特別展示として、重要文化財 渡辺崋山筆「千山万水図」を展示しています。

     

    渡辺崋山(わたなべかざん/1793-1841)は三河国田原藩士で、江戸詰家老の藩務のかたわら、画家としても活躍しました。

    崋山は、幕府の海防掛(かいぼうがかり)に任じられたことで蘭学研究や海外事情の情報収集にも熱心に取り組みますが、蛮社の獄(ばんしゃのごく)で処罰され、蟄居(ちっきょ)を命じられました。

     

    本作は、一見すると中国風の山水画に見えますが、画面中央をよく見ると、3本マストの大型船…外国船らしき船影が描かれています。

    崋山が描いた作品の中には、外国の脅威を生物の捕食に見立てて描いたものあります。

    本作も画面上部を江戸湾の入り口・三浦半島とし、海防上の重要地勢とみた崋山の思想を反映したものとする説があります。

     

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    重要文化財 渡辺崋山筆《千山万水図》 天保十二(1841)年 田原市博物館(後期展示)

    ※中央に描かれた3本マストの大型船。ペリーが来航するまで、日本では大型船の造船は禁止されていた

     

     

    なお、年紀には「丁酉(ていゆう)六月」(天保8年6月)とありますが、落款(らっかん)の書体から、蟄居中の天保12(1841)年の作と考えられています。

    天保8年6月は、浦賀に来航した米国船を砲撃・退去させた「モリソン号事件」が起こった月です。

    崋山は『慎機論(しんきろん)』でこの時の幕府の対応を批判し処罰されています。

    年紀にも崋山の意図が込められているのでしょう。

     

    本図制作の4か月後、崋山は自刃します。

    この時、坂本龍馬は7歳。12年後の嘉永6(1853)年、浦賀(三浦半島)沖に黒船が来航し、日本は維新に向け大きく動き始めます。

     

     

    (s.o)

     

     

  • 2017年08月12日 展覧会「没後150年 坂本龍馬」、来場3万人を達成!!!

    「没後150年 坂本龍馬」展、本日、8月12日(土)に来場者3万人を達成しました!

     

    3万人目のお客様は、静岡市内からお越しの稲葉さんご家族。

    当館館長から、記念品を贈呈しました。おめでとうございます!

     

    歴史好きなお父さんと一緒に、これまでも家族みんなでお城めぐりをしてきたそうです。

    今回も、お父さんの発案で展覧会にご来場いただきました。

    小学5年生の息子さんは、「龍馬は知っていたけれど、暗殺されたことを知ったのは初めて。龍馬の生涯について勉強できた」としっかりと話してくれました。

     

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    連休に入り、多くの方にご来場いただいています。

    展覧会はいよいよ8月27日(日)までです。

    この機会にぜひご来館ください。

     

    (c.o)