• 2018年04月10日 静岡市美術館 新・オリジナルグッズ発売!

    4月7日(土)より、静岡市美術館の新しいオリジナルグッズの販売が始まりました!

     

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    新たに仲間入りしたのは、「Shizubiマステ」と「Shizubi缶バッジ」の二つのグッズ。

    どちらも美術館のロゴマークをモチーフにしたオリジナルデザインです。

     

    グッズの紹介の前に、まずは美術館のロゴマークについておさらい。

     

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    静岡市美術館のロゴマークは、静岡、そして日本を象徴する富士山をモチーフにしています。

    重ねられた2つの円には、美術館を中心とした人の輪の広がりと、地域と世界を結ぶイメージが表わされています。

    また、視点と奥行きの変化によって見え方が変わる”視ることの楽しさ”にも気付かせてくれます。

    アートディレクターの柿木原政広さんにデザインしていただいた、美術館の大切なロゴマークです。

     

     

    それではお待ちかね、「Shizubiマステ」と「Shizubi缶バッジ」について詳しくご紹介します!

     

    ● Shizubiマステ  各432円(税込)

     

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    金と銀、2色で柄違いのマスキングテープ。

     

    金マステは、ロゴがコロコロ、転がるデザイン!

     

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    丸いロゴが転がっていく様子はなんとも可愛らしく、ついつい沢山使いたくなってしまいます。

    丸をひとつだけ貼ってみたり、切る位置によって色々な使い方ができそうです♪

     

     

    銀マステは、ロゴがつながるオリジナルパターン!

     

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    斜めに入った直線がスタイリッシュな印象。無造作に貼ってもおしゃれに見えます。

    貼る角度によってロゴの見え方が変わるのも不思議なデザイン。

    このパターンはミュージアムショップの紙袋にも使われているので、お買い物の際はぜひ注目してみてくださいね。

     

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    ●Shizubi缶バッジ  大150円・小100円(税込)

     

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    ロゴマークが描かれた缶バッジは、白と黒の2色展開。

    それぞれ大小2サイズから選んでいただけます。

     

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    シンプルなデザインながら、実は色やサイズによって線の太さを微妙に変えるなど、細部までこだわって作られています。

     

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    服やバッグにつけて、来館の思い出をさり気なくアピール。

    色違い、サイズ違いで組み合わせるのもおすすめです♪

     

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    「Shizubiマステ」と「Shizubi缶バッジ」、どちらも静岡市美術館ミュージアムショップにて販売しています。

    ご来館の記念として、静岡のお土産やプレゼントとして、ぜひ手に取っていただけたら幸いです。

     

     

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  • 2018年01月23日 「ターナーからモネへ」は1月28日(日)までの開催です。

    あっという間に、閉幕まで残り1週間をきりました。連日、大変多くの方にご来場いただいています。

    今回のブログでは、来場者アンケートに寄せられた声を、展示室内の様子とともにご紹介します。

     

    英国・ウェールズ国立美術館のコレクションで構成される本展。

    ターナーやコンスタブルのほか、ミレー、モネ、ルノワールらの計73点により、西洋絵画が変革の時を迎えた19世紀から20世紀初頭の英仏美術の交流の様子を紹介しています。

     

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    来場者アンケートには、本展のタイトルにもなったターナーとモネの作品に関するコメントが多く、細部までじっくりご覧いただいている様子がわかります。

    「(ターナーの)油絵具ののせ方など、写真では分からない表現があり良かったです。」

    「モネのサン・ジョルジョマッジョーレ黄昏に心奪われた。 何回も足を運んでしまった。」

    「イギリスーフランスの印象派前後の相互影響を知ることができた」

     

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    一方で、日本ではあまりなじみのない画家を知ることができるのも、本展の見どころの一つです。

    来場者からは、

    「予想より目を引く作品が多かった。 初めて知った画家も多く新鮮に感じた。」

    「イギリスの画家がこんなに大勢いた事、再発見した。」

    といった、声もいただいています。

     

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    展覧会「ターナーからモネへ」は、いよいよ1月28日までの開催です。

    ウェールズ国立美術館のコレクションが、日本でまとまって紹介されるのは約20年ぶり。

    巨匠たちの知られざる名作の数々を、ぜひこの機会にお楽しみください。

     

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    写真提供:中日新聞社

     

     

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  • 2017年12月27日 「ターナーからモネへ」作品紹介⑤ ルノワール《会話》

    ルノワールの晩年の作品である《会話》。「会話」というタイトルがついていますが、女性は男性と視線を交わすこともなく、考え事をするかのように、地面の草むらを見つめています。

    画面は大きく柔らかなタッチで覆われていますが、当時、ルノワールは激しい関節炎に悩まされていて手先を細やかに使って描くことができず、手に筆を縛りつける方法を用いていたことと関係していると考えられます。

     

    後に病状はさらに悪化し、最晩年は車いすでの生活を余儀なくされたルノワールですが、体力の続く限り制作を続けようとする画家のエネルギーをも感じさせる一枚です。

     

     

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    ピエール=オーギュスト・ルノワール《会話》1912年
    ウェールズ国立美術館 ©National Museum of Wales

     

     

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  • 2017年12月24日 「ターナーからモネへ」作品紹介④ モネ《サン・ジョルジョ・マッジョーレ、黄昏》

    1908年10月、ヴェネツィアを妻と共に初めて訪れたモネは、多くの画家たちを惹きつけてきたこの街に魅了され、その後2か月余りの滞在中に37点もの油彩画を描きました。彼は「私がもっと若く、大胆なことができたときに、ここへ来なかったのは残念だった」と述べています。

    《サン・ジョルジョ・マッジョーレ、黄昏》は、島のほとんどが修道院になっているサン・ジョルジョ・マッジョーレ島を描いた連作のうちの一つ。沈みゆく太陽の光は、青、緑からオレンジ、赤と一瞬のうちに空に多様な効果をもたらし、その色彩の交響は空を反射する海へとつながっています。

    モネ夫妻は、毎晩のようにゴンドラで運河に出かけ、画家曰く「世界でも随一の素晴らしい夕日」を楽しんだと残しています。

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    クロード・モネ《サン・ジョルジョ・マッジョーレ、黄昏》1908年
    ウェールズ国立美術館 ©National Museum of Wales

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  • 2017年12月22日 「ターナーからモネへ」作品紹介③ ロセッティ《麗しのロザムンド》

    19歳のころから絵画を学び始めたロセッティは、ロイヤル・アカデミーの美術学校でも学びましたが、次第にアカデミーの古典偏性の教育に疑問を持ち、同じくアカデミーで学んでいたハントやミレイなどとともに、ルネサンスのラファエロ以前の美術に価値を見出そうとする「ラファエル前派兄弟団」を結成し、英国の美術に新風を吹き込みました。

     

    本展出品作品の《麗しのロザムンド》は、中世の英国王ヘンリー2世の愛妾ロザムンド・クリフォードに扮した、画家の恋人を描いた作品です。伝説では、王はロザムンドを迷宮の中の小屋に閉じ込め、2人を繋ぐのは、一つの通路に張り巡らされていた赤い紐のみだったといいます。画面には、彼女を象徴するバラ(ロザムンド=「世界のバラ」)のモチーフが多く描かれています。

     

    しかし王の姿や小屋の様子などは描かれておらず、ロセッティの関心は、伝説の忠実な再現というよりも、モチーフの質感や色彩、場面を覆う情感を描くところにあり、唯美主義的理想へ向かう兆候をここに見ることができます。

     

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    ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《麗しのロザムンド》1861年
    ウェールズ国立美術館 ©National Museum of Wales

     

     

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  • 2017年12月19日 「ターナーからモネへ」作品紹介② コンスタブル《麦畑の農家》

    前回ご紹介したターナーと同時期に英国で活躍した画家・コンスタブル。現在ではターナーと並び英国を代表する画家ですが、両者の人生は対照的でした。

     

    年齢も1歳しか違わない二人ですが、若くしてターナーがロイヤル・アカデミーの正会員に選ばれ活躍したのに対し、彼がアカデミーの正会員となったのは53歳のときでした。また、ターナーが画題を求めて英国および欧州各地を旅行していたのに対し、コンスタブルは終生、故郷周辺の風景を描き続けました。

     

    《麦畑の農家》は、イングランド東部サフォーク州の画家の生家近くにあった麦畑の中の農家を描いた作品です。まだ青さの残る麦や右側の木は花を咲かせていることから、夏の風景と考えられています。

    ごく一般的な田園風景の中で、絶えず変化しつづける光や大気がもたらす効果を、一瞬のうちに捉えたコンスタブルの作品は、1820年代に母国に先んじてフランスで評価され、ドラクロワなどに影響を与えました。

     

     

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    ジョン・コンスタブル《麦畑の農家》1817年
    ウェールズ国立美術館 ©National Museum of Wales

     

     

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  • 2017年12月17日 「ターナーからモネへ」作品紹介① ターナー《難破後の朝》

    19世紀の英国を代表する画家、ターナー。展覧会では、出品作家の中で一番点数の多い、6作品(水彩3点、油彩3点)を展示しています。

     

    《難破後の朝》は、ターナーの後期の作品です。タイトルが示す通り、画面の中央には、嵐に遭遇し、帆が無残に破れた船が霞の向こうにぼんやりと見えます。手前の浜辺には、漂着し身を寄せ合う人々が描かれていますが、大きな筆致のため、一人ひとりの表情や細かな動きははっきりとはわかりません。

     

    風景画で名高いターナーは特に後半生において、単に風景を克明に再現するのではなく、その風景の中に現れる自然のエネルギーや大気の一瞬の雰囲気を、色彩の微妙な変化の中で捉えようとしました。この作品にも、ターナーのその特徴がよく現れています。

     

     

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    ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《難破後の朝》1840年頃
    ウェールズ国立美術館 ©National Museum of Wales

     

     

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    ★関連事業のお知らせ★
    Shizubi シネマアワー vol.21「新しい表現を求めて-ターナーとセザンヌ」

     

    1月6日(土)14:00~『ターナー、光に愛を求めて』

    英国・ロマン主義の巨匠・ターナーの素顔とその創作の秘密とは…?
    「ターナーからモネへ」展でも紹介するコンスタブルや、同時代の英国の画家たちも登場します。
    静岡市美術館受付にて、チケット好評販売中!

     

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  • 2017年12月10日 ウェールズ国立美術館―知られざる名作の宝庫

    英国・南西部に位置するウェールズは、英国を形成する4つの地域の中では日本では一番馴染みのない場所かもしれません。

     

    しかし、ウェールズの自然あふれる風景は、展覧会「ターナーからモネへ」でご紹介するターナーをはじめ、古くから数多くの芸術家たちを惹きつけてきました。また北部の海辺の町スランディデュノは、作家ルイス・キャロルが『不思議の国のアリス』の構想を膨らませた場所として知られています。
    19世紀になると、産業革命が豊富な自然資源のあるウェールズにも波及し、石炭の輸出や鉄鋼業で栄えました。今でも、世界各地の有名企業が進出し、日本企業も数多く工場や支社を構えています。

     

    1907年に、ウェールズの中心都市カーディフに設立されたウェールズ国立美術館は、ターナーやコンスタブルなど英国を代表する巨匠たちはもちろん、フランスのレアリスムを代表するミレーやクールベ、印象派のモネやピサロ、フォービスムのドランやヴラマンクなど、優れた近代美術のコレクションで知られています。これらの作品の多くは、前述した近代の経済発展の中で成功し、ウェールズの文化のさらなる発展を願っていた実業家たちによって蒐集され、寄贈されたものです。

     

    今回の展覧会では、同館のその豊富な所蔵品の中から、19世紀から20世紀初めまでの油彩57点、水彩16点を展示します。英仏を代表する名だたる巨匠たちの作品の数々がずらりと出品されますが、一番の見どころは、やはりマネ、モネ、ルノワールなどが揃い踏みし、また彼らに影響を受けたイギリスの作家たちも一堂に鑑賞できる「印象派」のコーナーです。

     

    ウェールズ国立美術館のコレクションがまとまって国外に貸し出されることは珍しく、日本では約20年ぶりの公開となります。是非お見逃しなく!

     

     

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  • 2017年11月04日 デンマーク・デザインの魅力④ アーネ・ヤコプスン[アルネ・ヤコブセン]の仕事

    ただ今当館で開催中の「デンマーク・デザイン」展の魅力に迫るブログシリーズの4回目、

    最終回は、アーネ・ヤコプスン[アルネ・ヤコブセン]の仕事をご紹介します。

    ヤコブセンは、デンマーク・デザインの巨匠として国内外で知られる著名な建築家です。

    彼は、市庁舎や小・中学校、劇場などの公共建築の設計をはじめ、その内装や調度品、備品類に至るまで

    あらゆるもののデザインを手がけました。

    その中でも代表的な仕事がSASロイヤルホテル(現 ラディソンブル・ロイヤルホテル)の一連のデザインでしょう。

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    代表作の〈エッグチェア〉も、SASロイヤルホテルのロビーのためにデザインされました。

    硬質発砲ウレタンという新素材を椅子に使用したことで世界初となりますが、何といってもその独特なフォルムが印象的です。

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    半円を描くほどの大きな背もたれにすっぽりと包み込まれるような形状は、ホテルのロビーでの使用を考慮したものです。

    多くの人が集う空間をプライベートスペースとして区切る、間仕切りとしての機能も持ち合わせたユニークなデザインです。

    アルミニウムでできた回転する脚も、安楽椅子としての機能をより高めています。

    ヤコブセンはこのホテルのために、ランプやカトラリー、ドアノブまであらゆるもののデザインを手がけました。

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    洗練された印象のフォークやナイフの中で、目を引くのが右端のスープ用のスプーンです。

    なぜ2本あるかお分かりでしょうか?左側が左手用、右側が右手用と、利き手に合わせてデザインされたためです。

    その他にも、ヤコブセンと言えば一枚の成形合板でできた〈アントチェア〉が有名です。

    デンマークの製薬会社のノボ ノボルディスクの社員食堂用に制作依頼をうけたもので、

    同じ型の椅子を大量に生産できることが求められました。

    当時、成形合板を使った一枚板の椅子の先行例として、フィンランド・デザインの巨匠アルヴァ・アアルトによる〈パイミオ・チェア〉がありましたが、量産には向かない素材とされていました。

    ヤコブセンは家具製造会社のフリッツ・ハンセン社と協働し技術開発に取り組み、世界で初めて、背と座が一体となった椅子の大量生産に成功します。スタッキング機能も付加され、世界の注目を集めました。

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    ちなみに〈アントチェア〉の初期モデルは、出品作品のようにスチール製の3本脚が採用されていました。

    しかしその華奢な印象が不評となり、のちに4本脚に変更されます。

    この成形合板を素材とした椅子で最も有名なものに〈セヴンチェア〉が挙げられます。

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    〈セヴンチェア〉は北欧史上最大のヒット作と言われ、目にする機会も多いのではないでしょうか。

    バリエーションも様々で、カラフルな塗装が施されたものや、布地にくるまれたものもあります。

    静岡会場では、北欧モチーフのファッションブランドとして知られるミナ ペルホネンと

    コラボレーションしたタイプのものを出品しています。

    ミナ ペルホネンで人気のパターン’tambourine(タンバリン)’が’dop(ドップ)’という生地に刺繍されたものです。

    ちなみに’dop’は、使い込むうちに摩擦で表面の糸が擦り減り、裏面の色が現れる新素材。この椅子の場合、青色が現れる仕組みです。

    その他、展覧会ではヤコブセンがデザインしたテキスタイルも出品しています。

    1943‐45年、ヤコブセンは戦禍を避けるため、スウェーデンに亡命します。この2年間の間に手がけた貴重なものです。

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    モチーフは草花などの植物が中心です。

    実は園芸好きだったことでも知られるヤコブセン。植物がもつ自然美を表した洗練されたデザインです。

    1950年‐60年代に黄金期を迎えたデンマーク・デザインは、「オーガニック・モダニズム」と呼ばれ、世界の注目を集めました。そのデザインを特徴づけた一つに、ヤコブセンの自然の造形美を取り入れた有機的なフォルムがあったのです。

    「デンマーク・デザイン」展も残すところあとわずかとなりました。

    出品点数は約200点あまり。

    今年で創業240年以上となる陶磁器ブランドのロイヤル コペンハーゲンにはじまり、木を素材としたオーガニックなデザインの椅子や玩具、照明器具や音響機器まで様々です。

    デンマークの近代から現代までのデザイン史をたどれる展覧会、ぜひお見逃しなく。

    皆さまのご来館を、心よりお待ちしております。

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  • 2017年10月28日 デンマーク・デザインの魅力③ デンマーク・デザインの巨匠、フィン・ユール

    ただ今当館で開催中の「デンマーク・デザイン」展の魅力に迫るブログシリーズの3回目、

    今回は、デンマーク・デザインの巨匠として名高いフィン・ユールの作品をご紹介します。

    皆さん、フィン・ユールという作家をご存知でしょうか。日本でこそ、アーネ・ヤコプスン[アルネ・ヤコブセン]やハンス・ヴィーイナ[ウェグナー]ほどの知名度はないものの、デンマークでは大変著名な建築家です。

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    フィン・ユール 椅子〈チーフテンチェア〉 1949年 ニルス・ロート・アナスン デンマーク・デザイン博物館

    photo: Designmuseum Danmark / Pernille Klemp

    フィン・ユールといえば、まずは〈チーフテンチェア〉が挙げられるでしょう。

    1949年に開催された展覧会で発表したこの椅子は、当時の国王フレズレク9世が腰かけたことで有名です。その場にいたジャーナリストが「この椅子は”国王の椅子”にすべきですね」とユールへ問いかけたところ、「むしろチーフテンチェア(酋長の椅子)と呼んでください」と答えたと言い、この名前が付いたという逸話が残っています。

    本作品は「酋長」の名前にふさわしく、一人掛けにはやや大きすぎるほどの、豪奢な雰囲気の安楽椅子です。サイズ感の割に、構造を支える貫(ぬき)はほっそりとしています。革張りの座面やひじ掛けは浮いているようにも見え、軽やかな印象さえ与えます。

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    ユールの椅子は彫刻的とよく評されますが、この作品にも、随所に彫刻的なラインが見られます。

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    ユールは自身の作品を、家具職人のニルス・ヴォザとの協働により制作しました。ニルス・ヴォザは職人の最高位「スネーカーマスター」の称号をもつ名匠で、ユールの椅子は彼の存在なしには完成しなかったとまで言われています。

    その他、日本の鳥居を彷彿とさせる貫の構造から〈ジャパンソファ〉という名称が付いたとされる椅子や

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    有機的なフォルムが印象的なボウルなども手掛けています。

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    建築作品としては、自邸「フィン・ユール邸」が有名です。

    デンマークの首都コペンハーゲンの北部にあるオアドロプ美術館と同じ敷地内に現存する邸宅ですが、日本とも深いゆかりがあることをご存知でしょうか。

    実は岐阜県高山市にも、忠実に再現されたフィン・ユール邸が存在します。

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    飛騨高山 フィン・ユール邸(再現) 写真提供:株式会社キタニ

    手がけたのは、日本で唯一、デンマーク家具のライセンス生産・企画販売を行う(株)キタニおよび(株)キタニジャパンを中心とする、NPOフィン・ユール アートミュージアムクラブです。

    去る9月23日(土・祝)には、当館にてこの(株)キタニジャパンの代表取締役社長で、NPO法人の代表も務められる東庄豪氏にご講演を頂き、フィン・ユール邸のプロジェクトについても詳しくお話を頂きました。

    制作にあたっては、現地からフィン・ユール邸を管理する財団の顧問建築家も来日し、素材や制作方法の吟味は高山の風土に合ったかたちで行われたそうです。

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    フィン・ユールが自邸を設計したのは1942年のことです。庭を囲むようにして建物がL字型に配置され、どの部屋からも自然が望めるようになっています。床の高さは地面に近く、大きな開口部はそのまま外の空間へとつながっています。

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    リビングルームには〈チーフテンチェア〉が。

    フィン・ユールは、建築設計はもちろん、内装や調度品などあらゆるものをデザインしました。

    邸宅に備え付けられた椅子も、見どころのひとつです。

    玄関を入ってすぐ、光が降り注ぐガーデンルームや

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    バスルーム前にも一人掛け用の椅子があります。

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    赤や青、黄色などに塗られた壁面の色彩も印象的です。

    光の反射により、空間の色調をコントロールする意図があります。

    玄関の真上は青色を、

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    リビングルームはやわらかなクリーム色を使用しています。

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    バスルームにはターコイズブルーが。

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    リビングルーム外のサンシェードは黄色く塗られ、内部空間を温かく照らします。

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    デンマークと日本の架け橋とも言える、岐阜県高山市のフィン・ユール邸。

    ぜひ現地にて、その空間を体感されてはいかがでしょうか。

    「デンマーク・デザイン」展も残すところあと2週間余りとなりました。

    皆さまのご来館、心よりお待ちしております。

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    (s.m)