• 2022年06月05日 「スイス プチ・パレ美術館展」―人物紹介③ ルノワールとヴァリエール=メルツバッハ

    サテン地のドレスに身を包み、ゆったりと椅子に腰かけているのは、後に詩人となるアリス・ヴァリエール=メルツバッハです。30代の頃、詩人になる前の姿と推測されています。

    当時、ルノワールはリウマチの療養のため南仏のカーニュで暮らしており、本作もこの地で描かれたと考えられます。すでに人気画家として経済的に余裕のあったルノワールは親しい愛好家や画商からの注文しか受けなくなっていました。メルツバッハの手記によると、ルノワールは彼女から制作の依頼を受けた際も、最初は躊躇したそうですが、帽子を取ったその容姿を見て態度を一変。白いサテン地のドレスを彼女に着せ、嬉々として制作に励んだといいます。薄く溶いた絵の具を幾層にも重ねる手法は、晩年のルノワールが好んで用いたもので、透明感のある色彩によって、健康的な血色と洗練された上品さが巧みに表現されています。

     

    参考文献
    Exh. Cat., Renoir au XXe siècle, Paris : Grand Palais, 2009, p. 290.

     

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    オーギュスト・ルノワール《詩人アリス・ヴァリエール=メルツバッハの肖像》1913年 ASSOCIATION DES AMIS DU PETIT PALAIS, GENEVE


    「スイス プチ・パレ美術館展 花ひらくフランス絵画」
    会期:2022年4月9日(土)~6月19日(日)
    休館日:毎週月曜日

     

     

  • 2022年06月02日 「スイス プチ・パレ美術館展」―人物紹介② サラ・ベルナール

    本作でモデルを務めるサラ・ベルナールは、19世紀末から20世紀初頭にパリで活躍した女優です。国立劇団のコメディー・フランセーズやオデオン座に所属し、美声と端正な容姿で多大な人気を博しました。卓越したカリスマ性から一時は劇団を立ち上げ、世界巡業も行ったことが知られます。女性らしいふくよかな体つきが好まれた当時にあって、サラは華奢な体形を武器に中性的なイメージを築き上げ、男役も務めました。棺で就寝するという奇行で物議を醸したほか、俳優や作家たちと浮き名を流すなど、話題性に事欠かない人物でした。

    ラリック、ミュシャ、ロートレックといった芸術家たちと親交を深め、サラの姿を流麗な植物模様とともに表したミュシャのポスターは、彼女のプロモーション戦略に一役買いました。

    本作を描いたのは、モンマルトルを活動拠点としたボッティーニです。当時、サラは60代。大女優としての貫禄を身にまとい、衰えを知らぬ美貌への矜恃が滲み出ています。

     

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    ジョルジュ・ボッティーニ《バーで待つサラ・ベルナールの肖像》1907年 ASSOCIATION DES AMIS DU PETIT PALAIS, GENEVE



    「スイス プチ・パレ美術館展 花ひらくフランス絵画」
    会期:2022年4月9日(土)~6月19日(日)
    休館日:毎週月曜日

     

     

  • 2022年05月31日 「スイス プチ・パレ美術館展」―人物紹介① ユトリロとヴァラドン

    エコール・ド・パリを代表するシュザンヌ・ヴァラドンとモーリス・ユトリロは、数奇な人生を送った親子画家です。

    母親のヴァラドンは美術モデルとしての活動の方が知られ、ルノワールを筆頭に名だたる画家たちの作品にその姿が表されています。若い頃にはサーカスの曲芸に従事しましたが、転落事故が原因で美術モデルに転身、さらには自らも画家になるという異色の経歴の持ち主でした。シュザンヌという呼称は画家のロートレックが考えたもので、老画家の前でポーズをとる彼女を、水浴中に老人から裸体を覗き見られる旧約聖書の登場人物、スザンナになぞらえたことに端を発するといわれています。

    ユトリロの父親が誰であったかは定かでありません。恋多きヴァラドンは息子を母親に預けて奔放な生活を送り、十代のユトリロは孤独感からか酒に手を伸ばしてしまいます。アルコール依存症の克服のために絵画制作を始め、詩情溢れるパリの街路を描きました。署名の末尾にはヴァラドンを表すVが添えられ、母親への複雑な心境が想像されます。

     

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    シュザンヌ・ヴァラドン《コントラバスを弾く女》1908年


    モーリス・ユトリロ《ノートル=ダム》1917年



    いずれもASSOCIATION DES AMIS DU PETIT PALAIS, GENEVE


    「スイス プチ・パレ美術館展 花ひらくフランス絵画」
    会期:2022年4月9日(土)~6月19日(日)
    休館日:毎週月曜日

     

     

  • 2022年05月20日 「スイス プチ・パレ美術館展」来場1万人を達成!

    本日5月20日に、「スイス プチ・パレ美術館展 花ひらくフランス絵画」の来場者が1万人を達成しました。
    1万人目は、浜松市からお越しのお客様。
    6人姉弟のうちの姉妹5人(!)でよく美術館に足を運ぶそうで、今回は3人でご来館くださいました。
    楽しく和やかな雰囲気で取材に応えてくださいました。
    お三方には、当館館長より記念品を贈呈しました。おめでとうございます。


    「スイス プチ・パレ美術館展」は、6月19日(日)までの開催です。
    本展では、ジュネーブのプチ・パレ美術館の所蔵品から、ルノワール、ドニ、デュフィ、ユトリロ、藤田嗣治らの作品65点で、印象派からエコール・ド・パリに至るフランス近代美術の軌跡を辿ります。
    同館の所蔵品がまとめて来日するのは30年ぶりです。この機会にぜひご来場ください。

     

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    「スイス プチ・パレ美術館展 花ひらくフランス絵画」
    会期:2022年4月9日(土)~6月19日(日)
    休館日:毎週月曜日

     

  • 2022年05月07日 花ひらくフランス絵画【6】 ポスト印象派とエコール・ド・パリ:個性の開花と古典への回帰

    エコール・ド・パリとは、戦間期にパリのモンマルトルやモンパルナスに集った画家たちを指します。自由を好んだ彼らに統一的な絵画様式は無く、唯一共通していたのは具象的な表現を用いたことでした。日本の藤田嗣治やイタリアのモディリアーニなど、外国人が多く含まれるのも特徴です。彼らの活動拠点となったのは、モンパルナスのアトリエ兼共同住宅「ラ・リューシュ(蜂の巣)」でした。

    その中のひとり、キスリングはポーランドの出身で、社交的で温厚な性格からモンパルナスのプリンスと呼ばれました。《サン=トロぺのシエスタ》に描かれているのは画家自身と、後に妻となるルネです。鮮烈な色彩にはフォーヴィスムからの、単純化された形態にはキュビスムからの影響が窺えます。本作は、第一次世界大戦中に描かれており、画家はその前年の1915年に戦闘中の負傷が原因で退役していました。地中海の温かな陽光の中で、戦傷を癒す自らの姿を捉えた作品と解釈することもできます。

     

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    モイズ・キスリング《サン=トロぺのシエスタ》1916年 ASSOCIATION DES AMIS DU PETIT PALAIS, GENEVE

     


    「スイス プチ・パレ美術館展 花ひらくフランス絵画」
    会期:2022年4月9日(土)~6月19日(日)
    休館日:毎週月曜日

     

  • 2022年05月04日 花ひらくフランス絵画【5】 フォーヴィスムからキュビスムへ:空間表現の革命

    1908年ごろから、ピカソとブラックは伝統的な遠近法とは一線を画する斬新な空間表現を取り入れました。それは対象を複数の視点で捉えた幾何学的な面に分解し、平面上で再構成するというものでした。彼らの作風はモチーフを褐色の切り子面に還元する分析的キュビスムを経て、新聞の切り抜きや文字を画中に取り込む総合的キュビスムへと展開していきます。

    ピカソとブラックは大規模な展覧会への出品を行わず、カーンワイラー画廊を主な作品発表の場としていましたが、1911年、グレーズ、メッツァンジェ、レジェらは、キュビスム様式の作品をアンデパンダン展で発表。これを機にこの芸術運動は大衆に広く知られるようになりました。

    メッツァンジェによる《首飾りを着けた若い女》では、女性とその背景が幾何学的な面に分割され、分析的キュビスムの特徴がよく表れています。しかし輪郭線や細部の描きこみによって具象性が留められており、この画家に固有の作画姿勢も見受けられます。

     

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    ジャン・メッツァンジェ《首飾りを着けた若い女》1911年 ASSOCIATION DES AMIS DU PETIT PALAIS, GENEVE


    「スイス プチ・パレ美術館展 花ひらくフランス絵画」
    会期:2022年4月9日(土)~6月19日(日)
    休館日:毎週月曜日

     

  • 2022年05月03日 花ひらくフランス絵画【4】 新印象派からフォーヴィスムまで:色彩の開放

    1890年代からシニャックとクロスは南仏に転居し、モザイク調の点描法を用いるようになります。マティス、カモワン、マンギャンはシニャック邸を訪れ、固有色を離れて自律的な色彩の調和を生成する手法を学びました。これを契機として彼らは色彩の表現性に関心を寄せ、純色の力強いタッチで激情的な表現を探求していきます。

    1905年、マティス、カモワン、マンギャンらはサロン・ドートンヌと呼ばれるパリの展覧会に、鮮烈な色調の絵画を出品。同展の批評文を書いたヴォークセルがその荒々しい色遣いを「フォーヴ(野獣)」にたとえたことで、フォーヴィスムという名称が誕生しました。

    さらにこの批評家は南仏に集ったシニャック、マンギャンら一行を渡り鳥の一群に喩えたことが知られています。フォーヴ発祥の地となった南仏を、マンギャンは生涯を通して愛しました。ヴィルフランシュ=シュル=メールも地中海を臨む港町で、風光明媚な景観が鮮烈な色彩で彩られています。

     

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    アンリ・マンギャン《ヴィルフランシュの道》1913年 ASSOCIATION DES AMIS DU PETIT PALAIS, GENEVE


    「スイス プチ・パレ美術館展 花ひらくフランス絵画」
    会期:2022年4月9日(土)~6月19日(日)
    休館日:毎週月曜日

     

  • 2022年05月01日 花ひらくフランス絵画【3】 ナビ派とポン=タヴァン派:平坦な色面と内的な表象

    新印象派の登場と同じころ、フランス・ブルターニュ地方のポン=タヴァン村では、ベルナールによって原色の平坦な色面を明瞭な輪郭線で囲むクロワゾニスム様式が生み出されました。ゴーギャンはこの反写実的な描法を、想像上の風景を描くのに用い、総合主義と呼ばれる新たな美術潮流を築き上げていきます。

    1888年、同地に滞在したセリュジエが、ゴーギャンのもとで描いた風景画をパリに持ち帰り、ドニ、ボナール、ランソンらにその教えを伝えます。彼らはヘブライ語で預言者を意味する「ナビ」をグループ名に冠し、ゴーギャンの実践に倣いました。

    平面性が際立つクロワゾニスム様式は、遠近法の使用を常とした西洋絵画の伝統を覆すものでした。事実、この絵画様式には浮世絵からの影響も指摘されています。中でもランソンは、日本美術の雑誌を精力的に収集していました。本展出品作の《海辺の風景》でも、空間の平面的処理や形態の単純化に、浮世絵からの影響が窺えます。

     

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    ポール=エリー・ランソン《海辺の風景》1895年 ASSOCIATION DES AMIS DU PETIT PALAIS, GENEVE

     


    「スイス プチ・パレ美術館展 花ひらくフランス絵画」
    会期:2022年4月9日(土)~6月19日(日)
    休館日:毎週月曜日 ※5月2日(月)は開館

     

  • 2022年04月30日 花ひらくフランス絵画【2】 新印象派:美術と科学の融合

    1886年に開催された最後の印象派展に、スーラ、シニャック、ピサロ父子は無数の点で覆われた絵画を出品。批評家のフェネオンはそこに印象派を超える新たな芸術の到来を見出し、彼らを新印象派と命名しました。その後、デュボワ=ピエ、クロス、リュスらも同様の技法を取り入れるようになります。

    スーラが考案した点描法は、印象派が直感的に用いた筆触分割を科学的に体系化したものでした。彼は画布やパレット上での混色を徹底的に避けるべく小さな点を用い、補色同士を隣接させて鮮やかな色調の生成を試みました。さらに輪郭線の中に規則正しく点を配する手法をとることで、モチーフの形態が不明瞭になってしまうという印象派絵画の欠点を克服したのです。

    点を共通の造形手段としながらも、新印象派の画家たちは各々の表現を探求しました。スーラが補色対比を重んじたのに対し、デュボワ=ピエは本作で同系色の点を並置し、繊細なグラデーションを生み出しています。

     

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    アルベール・デュボワ=ピエ《冬の風景》1888-89年 ASSOCIATION DES AMIS DU PETIT PALAIS, GENEVE

    / サインにもご注目! \


    「スイス プチ・パレ美術館展 花ひらくフランス絵画」
    会期:2022年4月9日(土)~6月19日(日)
    休館日:毎週月曜日 ※5月2日(月)は開館

     

  • 2022年04月27日 花ひらくフランス絵画【1】 印象派:鮮やかな画面を求めて

    1874年、モネ、ピサロ、ルノワールらは写真家ナダールのアトリエを会場としたグループ展に、筆触分割を用いた作品を出品します。純色の小さなタッチを並置するこの技法では、絵具の混ぜ合わせによって生じる色の濁りを回避することができました。出品作であったモネの《印象、日の出》から派生して、印象派という呼称が用いられるようになります。

    全8回にわたりグループ展を開催した印象派の画家たち。彼らを経済的に支えたのがカイユボットでした。織物業を営む裕福な家庭に生まれたカイユボットは、友人たちの作品を積極的に購入。自らも画業に勤しみ、国立美術学校で学んだ後、定期的に印象派展に出品し、都市風景や肖像画を得意としました。

    本展出品作の《子どものモーリス・ユゴーの肖像》では、絵画収集家ポール・ユゴーの息子、モーリスが描かれています。筆触分割が用いられていますが、随所に他の印象派画家が好まなかった黒色が使われている点に、カイユボット自身の趣向も垣間見えます。

     

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    ギュスターヴ・カイユボット《子どものモーリス・ユゴーの肖像》1885年  ASSOCIATION DES AMIS DUPETIT PALAIS, GENEVE


    「スイス プチ・パレ美術館展 花ひらくフランス絵画」
    会期:2022年4月9日(土)~6月19日(日)
    休館日:毎週月曜日 ※ただし5月2日(月)は開館