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2022年06月05日 「スイス プチ・パレ美術館展」―人物紹介③ ルノワールとヴァリエール=メルツバッハ
サテン地のドレスに身を包み、ゆったりと椅子に腰かけているのは、後に詩人となるアリス・ヴァリエール=メルツバッハです。30代の頃、詩人になる前の姿と推測されています。
当時、ルノワールはリウマチの療養のため南仏のカーニュで暮らしており、本作もこの地で描かれたと考えられます。and more
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2022年06月02日 「スイス プチ・パレ美術館展」―人物紹介② サラ・ベルナール
本作でモデルを務めるサラ・ベルナールは、19世紀末から20世紀初頭にパリで活躍した女優です。国立劇団のコメディー・フランセーズやオデオン座に所属し、美声と端正な容姿で多大な人気を博しました。卓越したカリスマ性から一時は劇団を立ち上げ、世界巡業も行ったことが知られます。女性らしいふくよかな体つきが好まれた当時にあって、サラは華奢な体形を武器に中性的なイメージを築き上げ、男役も務めました。棺で就寝するという奇行で物議を醸したほか、俳優や作家たちと浮き名を流すなど、話題性に事欠かない人物でした。and more
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2022年05月31日 「スイス プチ・パレ美術館展」―人物紹介① ユトリロとヴァラドン
エコール・ド・パリを代表するシュザンヌ・ヴァラドンとモーリス・ユトリロは、数奇な人生を送った親子画家です。
母親のヴァラドンは美術モデルとしての活動の方が知られ、ルノワールを筆頭に名だたる画家たちの作品にその姿が表されています。若い頃にはサーカスの曲芸に従事しましたが、転落事故が原因で美術モデルに転身、さらには自らも画家になるという異色の経歴の持ち主でした。シュザンヌという呼称は画家のロートレックが考えたもので、老画家の前でポーズをとる彼女を、水浴中に老人から裸体を覗き見られる旧約聖書の登場人物、スザンナになぞらえたことに端を発するといわれています。and more
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2022年05月20日 「スイス プチ・パレ美術館展」来場1万人を達成!
本日5月20日に、「スイス プチ・パレ美術館展 花ひらくフランス絵画」の来場者が1万人を達成しました。
1万人目は、浜松市からお越しのお客様。
6人姉弟のうちの姉妹5人(!)でよく美術館に足を運ぶそうで、今回は3人でご来館くださいました。
楽しく和やかな雰囲気で取材に応えてくださいました。
お三方には、当館館長より記念品を贈呈しました。おめでとうございます。 -
2022年05月07日 花ひらくフランス絵画【6】 ポスト印象派とエコール・ド・パリ:個性の開花と古典への回帰
エコール・ド・パリとは、戦間期にパリのモンマルトルやモンパルナスに集った画家たちを指します。自由を好んだ彼らに統一的な絵画様式は無く、唯一共通していたのは具象的な表現を用いたことでした。日本の藤田嗣治やイタリアのモディリアーニなど、外国人が多く含まれるのも特徴です。彼らの活動拠点となったのは、モンパルナスのアトリエ兼共同住宅「ラ・リューシュ(蜂の巣)」でした。and more
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2022年05月04日 花ひらくフランス絵画【5】 フォーヴィスムからキュビスムへ:空間表現の革命
1908年ごろから、ピカソとブラックは伝統的な遠近法とは一線を画する斬新な空間表現を取り入れました。それは対象を複数の視点で捉えた幾何学的な面に分解し、平面上で再構成するというものでした。彼らの作風はモチーフを褐色の切り子面に還元する分析的キュビスムを経て、新聞の切り抜きや文字を画中に取り込む総合的キュビスムへと展開していきます。and more
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2022年05月03日 花ひらくフランス絵画【4】 新印象派からフォーヴィスムまで:色彩の開放
1890年代からシニャックとクロスは南仏に転居し、モザイク調の点描法を用いるようになります。マティス、カモワン、マンギャンはシニャック邸を訪れ、固有色を離れて自律的な色彩の調和を生成する手法を学びました。これを契機として彼らは色彩の表現性に関心を寄せ、純色の力強いタッチで激情的な表現を探求していきます。and more
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2022年05月01日 花ひらくフランス絵画【3】 ナビ派とポン=タヴァン派:平坦な色面と内的な表象
新印象派の登場と同じころ、フランス・ブルターニュ地方のポン=タヴァン村では、ベルナールによって原色の平坦な色面を明瞭な輪郭線で囲むクロワゾニスム様式が生み出されました。ゴーギャンはこの反写実的な描法を、想像上の風景を描くのに用い、総合主義と呼ばれる新たな美術潮流を築き上げていきます。and more
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2022年04月30日 花ひらくフランス絵画【2】 新印象派:美術と科学の融合
1886年に開催された最後の印象派展に、スーラ、シニャック、ピサロ父子は無数の点で覆われた絵画を出品。批評家のフェネオンはそこに印象派を超える新たな芸術の到来を見出し、彼らを新印象派と命名しました。その後、デュボワ=ピエ、クロス、リュスらも同様の技法を取り入れるようになります。and more
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2022年04月27日 花ひらくフランス絵画【1】 印象派:鮮やかな画面を求めて
1874年、モネ、ピサロ、ルノワールらは写真家ナダールのアトリエを会場としたグループ展に、筆触分割を用いた作品を出品します。純色の小さなタッチを並置するこの技法では、絵具の混ぜ合わせによって生じる色の濁りを回避することができました。出品作であったモネの《印象、日の出》から派生して、印象派という呼称が用いられるようになります。and more
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