17・18世紀には、人物の激しい動作・表情や明暗法を用いた「バロック」様式や華奢で複雑な曲線や優美な色彩を特徴とする「ロココ」様式が流行。王侯貴族の肖像画や、絵画のヒエラルキーで最上位とされた宗教画や歴史画が多く制作されました。また風景画では、現実に存在しない理想的な風景が描かれました。
ヤーコプ・ヨルダーンス(と思われる) 《サテュロス》17世紀
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リエ=ルイ・ペラン=サルブルー 《ソフィー夫人(またの名を小さな王妃)の肖像》 1776年 |
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マールテン・ブーレマ・デ・ストンメ 《レモンのある静物》17世紀 |
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1789年の「フランス革命」によりブルジョワ層が台頭すると、彼らが好むテーマ・手法や個人の価値観に基づいた作品が増えていきます。道徳的なテーマを、古代ギリシャ・ローマの影響を受け、厳格で簡素な手法で描く「新古典主義」や、歴史的事実を個人の感情や価値観で描く「ロマン主義」が登場しました。風景画でも変革がおこり、戸外でのスケッチに基づき、現実の風景を主題に描く「バルビゾン派」が登場し、「印象派」など新たな芸術運動へとつながっていきます。
ジャック=ルイ・ダヴィッド(および工房)《マラーの死》 1793年7月13日以降
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カミーユ・コロー《川辺の木陰で読む女》 1865年から1870年の間
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ウジェーヌ・ブーダン《ダンケルク周辺の農家の一角》 1889年 |
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テオドール・ジェリコー(と思われる) 《佐官に命令をするナポレオン》 1812年から1816年の間
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ウジェーヌ・ドラクロワ 《ポロニウスの亡骸を前にするハムレット》 1854年から1856年の間
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エドゥアール・デュビュッフ《ルイ・ポメリー夫人》1875年 |
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19世紀後半、古典主義的な手法やアカデミスムに異を唱える「印象派」が登場します。彼らは、現実の一瞬の風景を主題とし、それを芸術として取り上げることで永遠性をあたえようとする「モデルニテ(現代性)」という考えに沿って、科学的な色彩理論に基づいた手法で、同時代の都会の日常生活をテーマとしてとりあげました。また、写真や日本美術からも影響を受けています。「印象派」はその後ゴーギャンなどの「ポスト印象派」や、ドニなどの「ナビ派」、「シュルレアリスム」など新しい芸術運動の呼び水となりました。
カミーユ・ピサロ《オペラ座通り、テアトル・フランセ広場》1898年
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アルフレッド・シスレー《カーディフの停泊地》1897年
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エドゥアール・ヴュイヤール《試着》 1892年頃 |
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ポール・ゴーギャン《バラと彫像》1889年
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モーリス・ドニ《魅せられた人々》1907年 |
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本章では、20世紀初頭に世界各地から集まった若い画家を総称する「エコール・ド・パリ」を代表する画家レオナール・フジタ(藤田嗣治1886-1968)の晩年にスポットを当てます。日本に戻り、第二次大戦中に戦争記録画を描いたことで画壇から糾弾を受けたフジタは、1950年にフランスへ戻り、1955年にフランス国籍を取得、1959年にはランス大聖堂で、カトリックの洗礼を受けました。ランスには、フジタ晩年の代表作である「平和の聖母礼拝堂」があります。彼は、この礼拝堂の壁画を描くだけではなく、建物やステンドグラス、彫刻、庭などもデザインし、自らの画業の集大成としました。
平和の聖母礼拝堂(1966年建立)外観 |
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すべてランス美術館蔵
Reims, Musée des Beaux-Arts
©MBA Reims 2015/Christian Devleeschauwer.