『夢二画集』、第1回夢二作品展覧会関係資料、大正初期の肉筆画、日記、書簡、装幀本などにより、大正7年に京都を去るまでの夢二の足跡をたどります。夢二の描いた、眼の大きな細身の女性像は「夢二式美人」として一世を風靡しました。
竹久夢二《草に憩う女》大正初期 静岡市美術館
|
|
竹久夢二《木に寄る女》大正4(1915)年頃 静岡市美術館 |
|
竹久夢二『三味線草』 大正4(1915)年 静岡市美術館 |
竹久夢二『夢二画集 都会の巻』 明治44(1911)年 静岡市美術館
|
|
秦テルヲ《煙突》 明治44(1911)年 京都国立近代美術館 |
|
京都画壇の画家たちも、大衆画家である夢二も、海外の情報が次々と入り、個人の独立と自由への意識が高まった時代をともに生きていました。この章では、夢二がいた時代の京都で活躍していた画家たちの代表的作品を紹介します。
(出品作家:富岡鉄斎、竹内栖鳳、山元春挙、上村松園、冨田溪仙、土田麦僊、小野竹喬、村上華岳、梶原緋佐子など)
竹内栖鳳《絵になる最初(下絵)》(重要文化財) 大正2(1913)年 京都市美術館 ※3月5日まで展示
|
|
梶原緋佐子《暮れゆく停留所》 大正7(1918)年 京都市美術館 |
|
土田麦僊《愒(いこい)》 明治40(1907)年頃 京都市美術館
|
|
都路華香《東萊里の朝・萬年台の夕》 大正9(1920)年 京都市美術館 |
|
大衆の間で夢二が人気を誇った時代以降、アカデミックな絵画展覧会においても美人画は盛んに描かれていました。たとえば、昭和9年に描かれた菊池契月の《散策》には洋犬を散歩させる少女の明朗でモダンなたたずまいが描かれており、愁いに満ちた夢二式美人とは違った美意識が表されています。
(出品作家:上村松園、伊藤小坡、菊池契月、西山翠嶂、木村斯光、梥本一洋、林司馬、秋野不矩)
上村松園《春光》 昭和戦前期 京都市美術館
|
|
秋野不矩《紅裳》 昭和13(1938)年 京都市美術館 |
菊池契月《散策》昭和9(1934)年 京都市美術館 |
|
大正7年秋、夢二は京都を離れ東京へと戻りました。大正12(1923)年の関東大震災により夢二たちが準備していたデザイン会社が営業開始直前に全焼する悲劇に見舞われたことや、度重なる私生活上のスキャンダルにより、夢二の大衆画家としての人気は時代が大正から昭和へと移る頃には衰えていました。しかし、2年間の京都滞在は、京洛風景や舞妓のモチーフとしてその後の夢二の制作の糧であり続けました。そのことは、《鴨東夜花》や日本郵船のためにデザインしたメニューの台紙といった作品が証明しています。
竹久夢二《鴨東夜花》 大正後期 静岡市美術館
|
|
竹久夢二《秩父丸メニュー》 昭和初期 三鷹市(髙相コレクション) |
|
竹久夢二《紫色の春の夜の》 大正15(1926)年 静岡市美術館
|
|
竹久夢二《小春・時雨の炬燵》 大正7(1918)年頃 静岡市美術館 |
|