19世紀初頭に生まれた「ロマン主義」の風潮は絵画にも波及し、伝統的な規範を重視するのではなく、個人の感情や価値観に基づいた表現が生まれました。恐怖や絶望、あるいは夢や空想の世界といった、それまで積極的に取り上げられてこなかったものが主題として描かれるようになります。風景画では人に様々な感情を呼び起こし、時に人知を超えた存在となる自然を、畏敬の念を持って描こうとする動きも出てきました。「崇高美」の概念に影響を受けたターナーや、見慣れた風景の中にも天候によってもたらされる情感が異なることを見出したコンスタブルなどがその代表です。フランスでは「ロマン主義」は主に歴史画のジャンルで展開されますが、後の世代であるバルビゾン派の風景画にも、その精神を見出すことができます。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《難破後の朝》 1840年頃 |
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ジョン・コンスタブル《麦畑の農家》 1817年
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ジャン=フランソワ・ミレー《突風》 1871-73年 |
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19世紀中頃になり、近代市民社会の発展によって人々の現実への興味が高まると、同時代の生活や事物を、ありのままに描くことこそ価値があるとする「リアリズム」(フランス語ではレアリスム)の思想が生まれます。その背景には、描く対象を理想化・様式化しようとする、従来のアカデミスムへの反発もありました。「リアリズム」の画家としては、クールベやミレー、ドーミエなどが知られます。彼らは、それまで絵画のテーマとして主流であった神話や歴史の一場面ではなく、下層階級や地方の無名の人々、農村の労働風景なども積極的にテーマに取り上げ、理想化されていない、社会の真なる姿を描き出そうとしました。
オノレ・ドーミエ《重荷》 1850-60年
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ジャン=フランソワ・ミレー《座る羊飼い》 1840-50年 |
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ギュスターヴ・クールベ《オルブの水車》 1875年 |
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フランスのアカデミーは、1737年以降「サロン」と呼ばれるようになる展覧会の開催や、歴史画を頂点とする絵画のヒエラルキーといった美術の制度化により、画家たちに大きな影響を与えました。他国でもフランスの例に倣ったアカデミーが設立され、イギリスの「ロイヤル・アカデミー」もその一つです。しかし19世紀中頃から、アカデミーに飽き足らず、新たな表現方法を追求する画家が表れ、「リアリズム」や「印象派」などが生まれました。イギリスでも、アカデミーにおける盛期ルネサンスや古典偏重の教育への反発から、ロセッティ等により、ラファエロ以前の芸術、すなわち中世や初期ルネサンスに美の規範を求める「ラファエル前派」の運動が展開されました。以降、イギリスの美術は唯美主義的傾向を示す画家や、ホイッスラーのように、特定の主義・運動には属さず独自の表現世界を模索する者など、多様な展開を見せていくようになります。
ジェームズ・ティソ《別離》 1872年
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ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 《麗しのロザムンド》 1861年 |
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ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー 《ノクターン-青と金:サン・マルコ大聖堂、ヴェネツィア》1880年 |
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保守的な「サロン」に対し、より自由に作品を発表したいと考えていたモネやルノワールらは、1874年にグループ展を開催しました。「印象派」と呼ばれた彼らは、リアリズムの画家たちが行っていた戸外制作を踏まえ、パレットで色を混ぜず、小さな筆触を重ねて画面を構成する方法で、移ろいゆく光や大気の表現を試みました。彼らの作品には、ターナーやコンスタブルからの影響も指摘されています。一方、1883年にロンドンで開かれた印象派の展覧会は、イギリスで印象派を広めるきっかけの一つとなり、また若い画家たちを刺激しました。1886年には印象派に影響を受け、ロイヤル・アカデミーに反発する画家たちによって「ニュー・イングリッシュ・アート・クラブ」が設立、さらに1880年代終りには、より前衛的な表現を求めた「ロンドン印象派」が結成され、印象派はイギリスでひとつの潮流となっていきます。
クロード・モネ《サン・ジョルジョ・マッジョーレ、黄昏》 1908年 |
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クロード・モネ《パラッツォ・ダリオ》 1908年
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ジョージ・クラウセン 《マリアニーナ》 1878年 |
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ピエール=オーギュスト・ルノワール《会話》 1912年 |
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1880年頃になると、印象派は古典主義的あるいは象徴主義的な傾向、科学的な色彩理論の応用など多様な展開を見せるようになります。「ポスト印象派」は、印象派を超越しようとしたスーラやシニャック、ゴッホやゴーギャン、セザンヌなどの画家を総称して指すもので、彼らの間に共通する様式があったのではありません。20世紀になると、絵画の変革はさらに推し進められ、対象の固有色を否定した強烈な色彩や大きく自由なタッチで平面的な画面を作りだした、ヴラマンク、ドランらの「フォーヴィスム」など、より前衛的な表現が生まれました。ウェールズにもこうした新しい表現に影響を受けた画家が次々と登場し、オーガスタス・ジョンやジェイムス・ディクソン・イニスなどは、フランスの最新の動向を採り入れた作品を発表しました。
ポール・シニャック《サントロペ》 1918年 |
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ポール・セザンヌ《飛び込む人》 1866-70年
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オトン・フリエス《ラ・シオタ》 1907年 |
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すべてウェールズ国立美術館
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