1945年、アルバレス・ブラボはそれまでの仕事の集大成として大個展「芸術としての写真」を実現させます。しかし、その頃すでに安定的な生活の糧を求めて、黄金時代を迎えた映画産業界でスチル写真家として働いていました。
また、政府によるインディヘニスモ(先住民保護・開発政策)推進を背景に、古代遺跡や先住民集落などの調査隊に同行して、記録写真を撮る仕事も行いました。《トゥルムのマヤ人の少年》もそうした調査の折りに撮影されました。先住民たちの尊厳に満ちた姿に加え、本作では遺跡と少年の相似性がユーモアを誘っています。
《トゥルムのマヤ人の少年》1943年 |
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1940年代から60年代半ばまでのアルバレス・ブラボは作品発表の機会が少なく、個展はほぼ10年に1回しか開いていません。しかし撮影は続けており、1950年代以降は、街角の写真に新しい展開が見られます。若い頃の詩的な持ち味を残しつつ、人々が道を行き交う様子を少し遠くから眺めた写真には、ユーモアのあるタイトルが付され、日常の光景に潜むメキシコらしさが軽やかに照らし出されました。
《信ずべき夢》1966年
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《世間は何と狭いことか》1942年 |
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すべてマヌエル・アルバレス・ブラボ・アーカイヴ蔵
©Colette Urbajtel / Archivo Manuel Álvarez Bravo, S.C.