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ミュシャ展




3章:アメリカ 新たな道の発見

1904年、ミュシャははじめてアメリカへ渡ります。アメリカへもその名声が届いていたことから手厚い歓迎を受け、上流階級の人々の肖像画を描き、美術学校で教鞭もとりました。また、アメリカの大手雑誌社『ハースツ』の表紙絵や商品のパッケージなどのデザインもしました。渡米先での仕事は、パリ時代から構想を抱きはじめていたという《スラヴ叙事詩》制作の実現化に向けて、十分な費用を工面するという目的がありました。その後ミュシャは大富豪で実業家の チャールズ・R・クレインと出会い、《スラヴ叙事詩》制作のための融資の約束を取りつけ、故郷へ帰還します。3章では、パリ時代から晩年への過渡期にあたる、アメリカ時代の作品を紹介します。


大手雑誌社の表紙絵。
描かれているのは
ミュシャの子どもたち

雑誌『ハースツ・インターナショナル1月号』
の表紙 1922年

ミュシャの
名前がついた
石鹸のラベル

ラベル《サヴォン・ミュシャ石鹸:
ヘリオトロープ》1906年

4章:故郷への帰国と祖国に捧げた作品群