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藤田嗣治 渡仏100周年記念 レオナール・フジタとパリ 1913-1931

展覧会概要展覧会構成関連イベント特典案内刊行物


展覧会構成
1.渡仏以前―画家への道
2.模索の時代―パリの潮流の中で
3.成功への階段―パリ美術界へのデビュー
4.栄光の時代―エコール・ド・パリの寵児
5.新たなる旅立ち—マドレーヌとともに
*藤田が交友した芸術家たち


1.渡仏以前―画家への道

幼いころから絵が好きだった藤田は、フランスでの絵画修業を望んでいましたが、東京美術学校で油彩画を学ぶことになりました。しかし1913年、いよいよフランスへ渡り、芸術の都での探求が始まります。前年に結婚した妻のとみを日本に残して単身の渡仏でした。この章では、初公開となる渡仏以前の油彩画や、東京美術学校の卒業制作である《自画像》などを展示、若き日の藤田像を浮き彫りにします。



藤田嗣治ととみ


2.模索の時代―パリの潮流の中で

渡仏した藤田は、ギリシャ・ダンスを習ったり、ルーヴル美術館に通ってはエジプトやギリシャの美術を模写するなど、西洋美術の源流から学ぼうとしました。また、ピカソのアトリエでアンリ・ルソーの絵画に衝撃を受けるなど、さまざまな刺激を受けています。そんな中、第一次世界大戦が勃発し、苦しい生活を強いられることになりましたが、藤田はパリ郊外やロンドンで戦火を避け、帰国することなく絵画修業を続けました。
この章では、模索期の藤田を伝える絵画や書簡などをご紹介します。藤田がフランスから妻のとみへ送った手紙が展示されるのは本展が初めてです。



フランスへ向かう船上の藤田嗣治


3.成功への階段―パリ美術界へのデビュー

第一次大戦も終局に向かいつつあった1917年、藤田はパリのシェロン画廊と契約、貧しいながらもようやく作品によって収入を得るようになりました。藤田は、この頃からパリのカフェ・ロトンドで知り合った女性、フェルナンド・バレーと暮らし始めたといいます。翌1918年には第一次大戦の休戦条約が成立、つかの間の狂騒の時代の幕開けとともに、成功への第一歩を踏み出したのです。
この時期の藤田は、細長く引き伸ばされたメランコリックな人物像と、どこかアンリ・ルソーを思わせるもの寂しい郊外風景をしばしば描いています。この章では、1917年から20年までの水彩画を中心に、画壇での一歩を踏み出した藤田の作品をご覧いただきます。



4.栄光の時代―エコール・ド・パリの寵児

1921年のサロン・ドートンヌに藤田は3点の油彩画を出品しました。乳白色の絵肌と繊細な線描による藤田独自のスタイルがこの時には確立されており、大変な好評を持って迎えられました。
1923年、ベルギー出身のリュシー・バドゥと出会った藤田は、翌年にはフェルナンド・バレーと離婚しバドゥと結婚しました。藤田は美しい肌を持つ彼女を「ユキ」と名付けしばしば作品のモデルにしました。この章では、ユキをモデルにした作品も含め、藤田の最初の充実期である1920年代の名品の数々を紹介します。



5.新たなる旅立ち—マドレーヌとともに

1925年にはレジオン=ドヌール勲章を受章、26年にはフランス国家が作品を買上げリュクサンブール美術館に収蔵されるなどの栄誉を受けた藤田は、肖像画をはじめ作品注文も増え人気画家としての地位を確立しました。一方、私生活では次第に妻ユキとの仲は行き詰まり、マドレーヌ・ルクーが藤田の新しい恋人となりました。藤田は1931年、マドレーヌとともにブラジルへと出発します。この転機の背景には、1929年にアメリカから始まった世界恐慌後の重苦しい世相や私生活での苦しみといった要因がありましたが、画業に新しい展開を求めての旅立ちでもありました。



藤田が交友した芸術家たち

藤田はパリに到着したばかりのころ、ピカソのアトリエでアンリ・ルソーの作品を見せられ、大きな衝撃を受けました。また、モディリアーニやスーティンらとともに南仏に旅行した際、晩年のルノワールのアトリエを訪ね、リューマチで冒された手に筆を包帯でくくりつけて描く画伯の制作態度に感銘を受けたといいます。
 藤田の住んだモンパルナスには世界中から多くの芸術家たちが集まりました。出身地の特徴を生かしながら個性を競い合った彼らは、後にエコール・ド・パリ(パリ派)と呼ばれました。このコーナーでは、若き日の藤田と時代を分かち合った芸術家たちを紹介し、藤田を育んだパリの雰囲気をお伝えします。



アンリ・ルソー《田園風景》1875/80年
油彩・カンヴァス
ピエール・ゲネガン、マーガレット・ゲネガン両氏蔵
Collection Pierre et Margaret GUÉNÉGAN (Paris)
© Pierre Guénégan

アメデオ・モディリアーニ《カリアティードの頭部》
1911年(1950年鋳造)
ブロンズ ベン・アー・フィーマン氏蔵
Collection Ben A. Fihman


ジュール・パスキン《果物籠を持つジュヌヴィエーヴ》1929年
油彩・カンヴァス 熊本県立美術館